プロボクシングWBA世界スーパーフライ級王者井岡一翔(34=志成)が世界5階級制覇を目指すと初めて宣言した。31日、東京・大田区総合体育館で同級8位ホスベル・ペレス(28=ベネズエラ)との初防衛戦を控え、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。熱望する同級最強のWBC王者フアン・フランシスコ・エストラーダ(33=メキシコ)との2団体王座統一戦、5日違いで世界戦に臨むWBC、WBO世界同級王者井上尚弥(30=大橋)についても言及した。その下編になる。【取材・構成=藤中栄二、首藤正徳】

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11年に世界王者となって13年間、井岡は常にトップ戦線を走り続けている。その秘訣とは?

井岡 1番は感謝ですね。記者の方やいろいろな方に「どうモチベーションを維持しているのか」と聞かれるけれど、僕はありがたいことに好きなことが仕事にできている。その時点でモチベーションはいらないというか。常に好きなことができ、それが世に言うメシを食えている、ご飯を食えて家族を養えている。幸せなことだし、それが第一前提。3階級制覇するあたりまでは自分のためだったり、両親だったり、井岡家、2階級制覇したおじさん(弘樹氏)が目指していたものへの呪縛的なものでやっていました。けれど、それ以降は自分でもどこまでいけるかは分からない。僕の中では評価と自分のやりたいことは均等でいないといけないと思う。評価をしてもらうために世界王者でいないといけない。愛する人達がいて。その人達に支えられ、本当に命を懸けてリングに上がる、何とも言えない素晴らしさ。それができていることに感謝している。

長く現役生活を続ける上で、メンタル以上に肉体の疲労、ダメージ蓄積が不安材料となる。井岡が意識する肉体維持方法とは?

井岡 (肉体の不安は)ないですよ。精神的にもすごく追い込んで練習はしているけれど、それ以上にケア、体に対して敏感にやっている。僕の友人アスリートをはじめ、同僚も後輩もすごい才能がある。ストレッチとかクールダウンを多めにしなくても毎日動けるけれど、それが大事と気づくのがけがをした時。でも、それでは遅い。僕はけがする前からストレッチしたら、これだけ動きが変わる、クールダウンしたら、これだけ疲労がたまらないとか、すごく感じていたので、高校生ぐらいからずっとやっていた。一番最初にジムに来て、ストレッチして練習始めて、一番最後までストレッチして帰っていた。それが多分、功を奏したと思う。常に体に不安というか緊張感を持っている。良い時だけ動いて欲しいなんて都合良すぎではないですか。試合の時だけ動いてなんてわがままな。体と対話してケアや追い込みをやることで、良いパフォーマンスができる。

井岡の初防衛戦の5日前には、井上尚弥のスーパーバンタム級4団体王座統一戦が行われる。ボクシングファンも試合を比較しやすい日程となった。その井上について、井岡が珍しく言及した。

井岡 まったく失礼な気持ちはないが、自分に集中しているので、そういった意味で興味がない。すごくリスペクトしているし、すごい次元でやられているので、ボクがどうとか何もない。彼は彼がやるべきことやっているし、同じ日本人として海外から称賛されている素晴らしいボクサー。僕自身、何も比較することもない。

井岡に続き、井上も世界4階級制覇、国内の世界戦通算勝利は井岡の21勝に続き、井上が20勝。階級は違うものの、記録上は比較される関係にある。

井岡 (井上に)追いかけられている感じはない。あまり彼を語りたくはないが、ボクがどうこう言う次元を超えていると思う。世界戦の勝利数や記録は、おそらく順番から言ったらボクの方が先に引退するし、そうなると記録は彼が全部上回ると思う。記録は、世間の評価としては大事だけれど、自分の中ではどうでもいい。記録という「鉄棒」にぶら下がって生きたくない。1番は自分の愛する人達のために戦っている。愛を持って。応援してもらっている方に無償の愛をもらっているで、その愛に応えたい。僕は長くやってきているので、良いものは良いと感じてもらえるようにみせたい。

来年4月にプロ生活も区切りの15年を迎える。来年はエストラーダ戦実現も含め、重要な1年。大みそかのペレス戦は負けることのできない試合だ。

井岡 人生で言えば勝とうが負けよようが前に進める。しかしエストラーダ戦実現という意味では絶対に負けられない。ボクシング人生として、ボクサーとして負けられない。意地もある。いろいろな気持ちがあるし、勝つしかない。勝てば大事な1戦が待っている。良い勝ち方をして次に向けてこの一戦を戦い抜く。良い試合をみせたいと思っている。(おわり)

◆井岡一翔(いおか・かずと)1989年(平元)3月24日、大阪・堺市生まれ。興国高で史上3人目の高校6冠を達成。東農大2年中退で09年プロデビュー。11年に当時日本最速7戦目でWBC世界ミニマム級王座、12年にWBA世界ライトフライ級、15年に18戦目の当時世界最速でWBA世界フライ級王座獲得。17年に1度引退も18年に復帰。19年再挑戦でWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し、日本初の世界4階級制覇を達成。23年2月にWBO世界同級王座を返上し、同6月にWBA世界同級王座を獲得。163・5センチの右ボクサーファイター。家族は夫人と2男。

【単独インタビュー】井岡一翔、5階級制覇挑戦を初宣言「人には可能性、素晴らしさ伝えたい」