大相撲の横綱白鵬(33=宮城野)が、悲しみを乗り越えて横綱の責任を果たした。春巡業は10日、長野・伊那市で行われた。前日9日に父ジジド・ムンフバトさんが76歳で死去したが、ぶつかり稽古で地元長野県出身の関脇御嶽海に胸を出し、土俵入りと横綱鶴竜をつり出して破った取組では観衆を沸かせた。元気な姿を見せたが「自分の与えられた仕事をまっとうするつもりで土俵に上がった。親を超える子どもはいない。あらためて偉大さを感じた」と、しみじみと話した。

 夢があった。「あと2年半頑張ることができて、東京オリンピックの開会式で土俵入りすることができたら、見せてあげたかった」。98年長野五輪で、当時横綱の曙が開会式で土俵入りする姿はテレビで見ていた。ムンフバトさんはレスリング選手として、銀メダルに輝いた68年メキシコ五輪でモンゴル人初の五輪メダリストとなった。五輪には64年東京大会から5大会連続で出場し、年に1度のスポーツの祭典「ナーダム」では、6度もモンゴル相撲で優勝した国民的英雄。白鵬は「64年の東京五輪に出て、東京五輪に縁がある人だと思っていた」と肩を落とした。

 白鵬によると、昨年10月に肝臓がんが見つかり、11月の九州場所後に日本に呼んで治療していた。今年1月まで日本に滞在後に帰国したが「この1週間で急に弱り、昨日旅立ちました」と、静かに説明した。巡業部の花籠副部長(元関脇太寿山)は帰国と巡業離脱について「問題ない。親御さんだから。八角理事長(元横綱北勝海)にも報告している」と説明。今日11日に帰国し13日の葬儀に出席。4日間休場後の15日から再合流する。【高田文太】