関脇御嶽海(25=出羽海)が、涙の初優勝を果たした。勝てば優勝の一番で、平幕の栃煌山を寄り切りで下した。名門出羽海部屋では80年初場所の横綱三重ノ海以来38年ぶりで、節目となる50度目の優勝。長野県出身、平成生まれの日本出身力士では初めてなど、記録ずくめの優勝となった。3横綱1大関不在の異常事態の場所を、期待の若手が引っ張り上げた。

 優勝を決めた御嶽海は、次の取組の逸ノ城に力水をつけて勝ち残りのため土俵下に座った。息を整えて目を閉じる。表情は変わらない。逸ノ城の取組が終わりインタビュールームに呼ばれて、2問目の質問をされた時だった。「いやぁ…」。右手で両目を何度も拭った。話そうにも言葉が出ない。息を整えてようやく「この15日間ですごい緊張したんですけど、周りの声援とか聞いて優勝しなきゃいけないという感じになって…。何とか勝てました」と声を絞り出した。

 場所前に出稽古に来て2日間で1勝9敗と、さんざんだった栃煌山が相手。負ければ優勝は千秋楽に持ち越され、ともえ戦になる可能性もあった。重圧を背負ったが、左四つで1度組み止めると右を巻き返して、盤石の体勢を作って寄り切った。「稽古場で勝つときはもろ差しで勝ってる。そのイメージだった」。重圧を物ともしなかった。

 東洋大時、アマチュア相撲強豪の和歌山県庁への就職が内定していた。父春男さん(69)は「やれやれと思ったんですよ」と、息子の将来の安泰を思って胸をなで下ろした。その直後に、学生タイトル2冠を達成。連日、朝5時から夜11時半ごろまで、大相撲関係者から勧誘の電話が鳴り続いた。プロへの気持ちが芽生える中、父から何度も覚悟を問われた。御嶽海は「行きます。お願いします」と強い気持ちを示した。そして当時、関取がいなかった出羽海部屋の再建に力を貸して欲しいと誘われ入門を決意。関取どころか、入門して約3年半21場所で初優勝まで果たし「この3年は順調だった」と充実した表情を浮かべた。

 今場所はオンとオフの切り替えがうまくいき、連敗しなかった。東洋大時、大会はトーナメント方式が主流。「負けたら終わりだから。1番勝たないと上には上がれない」と下積みが既にあった。

 さらに部屋付きの高崎親方(元前頭金開山)が作る「高崎親方スペシャルちゃんこ」を毎日食べた。高崎親方に用事があり、食べられなかった日に大関高安に負けたが「地方はいつも親方が作る。ありがたい」と、力の源になったことに感謝した。

 秋場所(9月9日初日、東京・両国国技館)での大関とりに、弾みがついた初優勝。だが「来場所は来場所また考えたい。あと1番勝って終わりたい」と25歳は浮かれなかった。上位陣が出場する場所で、真価を発揮する。【佐々木隆史】