6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの葬儀が15日午後、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

前日の通夜には、角界から藤島親方(元大関武双山)、錣山親方(元関脇寺尾)、西岩親方(元関脇若の里)、振分親方(元関脇高見盛)、高崎親方(元前頭金開山)ら多数の親方衆や、平幕の妙義龍、佐田の海(いずれも境川)ら現役力士はじめ関係者約300人が参列。この日の葬儀も、故人とゆかりのある多数の関係者が参列し故人の冥福を祈った。

現役時代の師匠だった元中村親方(元関脇富士桜)の中沢栄男氏は、部屋を興して最初の関取誕生となった日を思い浮かべ「やっと生まれた関取第1号に、全ての関係者と舞い上がったことが昨日のことのように思い出されます。まさに力士のかがみ。こちらが見送ってほしかった。あまりに早い」などと弔辞を読んだ。荼毘(だび)に付される都内の葬祭場に向かうバスに乗り込む間際には「現役をやめても巡業の勧進元を6回もやってくれたり、相撲のことで頑張ってくれた。もっと頑張ってほしかった。でも自慢の弟子でした」と涙ぐんだ。

相撲の普及に汗を流していた墨谷さんは、全国の小学校や相撲クラブにある土俵の改修を含め、100個の土俵を作るプロジェクトを今年に入って着手。2月に、さいたま市内で第1号が作られ、続く2番目の土俵も埼玉県内に作る予定だった。その矢先の急死だったが、墨谷さんとともに会社の運営に携わってきた関係者は「その道しるべを墨谷さんが作ってくれたので、あとは私たちで頑張ります」と、その遺志を受け継ぐ決意を語った。参列者には、墨谷さんの相撲人生を読み込んだ相撲甚句「彩豪快一代」が配られた。