大関経験者で初日から休場していた東前頭筆頭の朝乃山(29=高砂)が、横綱昇進が懸かる大関貴景勝を破り、復帰土俵で存在感を見せつけた。

立ち合いから何度も下から突き起こされたが下がらない。まわしを許したくない貴景勝に接近を阻まれ続けた。ようやく組みつくと、慌てた相手が突っ込んできたところを下手投げ。2人とも土俵下に落ちる際どい勝負に物言いがついたが、行司軍配通りに勝ち名乗りを受けた。

朝乃山は10月28日に、広島市で行われた秋巡業で左ふくらはぎを肉離れ。「左腓腹筋(ひふくきん)損傷で3週間の安静加療を要する」との診断書を提出し、7日目まで休場していた。

目標とする来場所の返り三役には、8日目からの8日間全勝で勝ち越しが絶対条件。負け越しに後がない状況の中、いきなり組まれた注目取組を制して好発進した。9日目は再び大関戦で、霧島との割が組まれた。

取組後は「足が震えていた」と、土俵下の控えで待つ間、10歳で相撲を始めて以来、経験したことのない緊張感に襲われていたことを明かした。それでも「思い切っていこう!」と、自らを奮い立たせ、時間いっぱいの仕切りで足の震えは止まって、白星を手にした。「相撲内容は悪いけど(最後は)思い切って投げようと思って投げた。勝っても負けても前に出ようと思っていた」と振り返った。

けがするまでの秋巡業中に、貴景勝に指名され、4会場で三番稽古を行っていた。多い日は1日15番も取った。この日の朝稽古後は「その後、けがして相撲を取る稽古をできていないので」と話し、稽古の成果が生かされそうかは不明だとしていたが、体が覚えていた。何よりも、先場所は3大関に全敗。「もう1度、元の位置まで上がるためには、大関に勝たないと上がれない」と、大関戦の雪辱の思いを口にしていた。

7日間の休場中は連日、部屋宿舎のテレビで幕内の取組を観戦していた。日を追うごとに「出たくてウズウズしてきた」という。同時に、貴景勝が9月の秋場所で優勝した一夜明け会見で話していたコメントが脳裏をよぎった。「大関(貴景勝)が名古屋場所を休場していた時に『キラキラして見えた』と言っていたのを思い出した。自分も同じことを思った。本場所で相撲を取っているみんなが輝いて見えた」。

貴景勝よりも1年遅れで大関に上がったが、自身は新型コロナウイルス感染対策のガイドライン違反で6場所出場停止となった。その間もずっと看板力士として務めてきた、貴景勝への尊敬の念は常にあった。その貴景勝に、前日7日目の豪ノ山戦に続いて土をつけ、横綱昇進を大きく遠ざける格好となった。互いを認め合う、ライバルゆえの宿命だったのかもしれない。

朝乃山にとっては他にも、負けられない思いがあった。今場所直前に、入門時の師匠の先代高砂親方(元大関朝潮)が亡くなった。「前に出ろ!」。口酸っぱく言われ続けた言葉は「それしか言われていない、というぐらい何度も言われてきたから」と、今も耳に残っている。「今場所全休して、完治させて来場所からということも考えた。途中出場には賛否両論あるのは分かっている。でも何よりも、この場所に出ることが、これからの自分のためになると思って出場を決めた。腹をくくった結果」。先代師匠にささげる白星を挙げたい思いが、負け越しに後がない状況から、今場所出場へ後押しした。

左ふくらはぎ痛について、この日の朝稽古後には「お医者さんからは『再発しても責任は取れない』と言われている」と明かした。それでも「謹慎中は出たくても出られなかった。だから、良くなったら出たいという気持ちは強かった」という。輝いて見えた幕内土俵に戻りたい思いの強さを、6日目の打ち出し後に師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)に伝え、出場を認められていた。そしてつかんだ今場所初白星。場内の歓声の大きさが、さらなる朝乃山の活躍への期待の大きさを物語っていた。

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