[ 2014年7月11日8時30分

 紙面から ]<W杯:オランダ0(2PK4)0アルゼンチン>◇準決勝◇9日◇サンパウロ

 アルゼンチンが90年イタリア大会以来、6大会ぶりの決勝進出を果たした。準決勝オランダ戦はPK戦で、GKセルヒオ・ロメロ(27=サンプドリア)が2本を止め制した。13日午後4時(日本時間14日午前4時)開始の決勝でドイツと対戦。「神の子」マラドーナを擁した86年メキシコ大会以来、28年ぶり3度目の優勝をかけ、前回大会で0-4と完敗した宿敵に挑む。

 左右のポールの間を、ロメロは行ったり来たりした。120分を戦い、0-0のまま突入したPK戦。オランダ1人目のフラールを見ると、左手のグローブを開いた。そこには小さな白いメモ。チラリと見ると、すぐに折り畳んでパンツの中にしまい込んだ。

 PK戦において、最も重要といわれる1人目のキッカー。フラールが蹴った瞬間、迷わず左に跳んだ。シュートを体でブロック。「バモス(カモン)!」と叫んだ。

 研究の成果が発揮された。所属したフランスリーグだけでなく、世界中の有力選手のPKデータを集めた「マル秘ノート」を作成。蹴り方、蹴る方向、癖などを徹底的に調べ上げていた。オランダの3人目スナイダーのシュートは、蹴るよりも先に動いて両手ではじいた。完全に読みきってのセーブ。「蹴る方向は分かっていた。PKは運の問題だけど、自信があった。幸運にもすべてがうまくいった」と納得の勝利だった。

 試合後は、あいさつのためオランダのロッカールームに向かった。アルゼンチンのラシンでリーグ戦5試合しかプレーしていなかったロメロに目を付け、オランダの上位クラブAZに引っ張ったのが、当時率いていたファンハール監督だった。スペイン語を話せる同監督は、異国の地でよき話し相手、先生であり、PK戦での戦い方も教えた。08年のリーグ優勝には、正GKとして貢献した。その恩返しとも言える勝利。敗軍の将は「ロメロにPKの止め方を教えた。それだけにこたえるね」と苦笑した。

 決して下馬評は高くなかった。昨季はフランス1部のモナコに期限付き移籍していたが、リーグ戦3試合のみの出場。控えに甘んじ、試合勘は鈍っていた。またアルゼンチンは、W杯予選で16戦15失点。タレント豊かな攻撃陣に反し、守備陣が不安視されていた。ロメロも安定に欠けると指摘されていた。それでも今大会、決勝トーナメント進出後は3試合で失点ゼロ。大会前の批判を、一蹴した。

 アルゼンチンが決勝に進出した90年イタリア大会。準々決勝、準決勝と続くPK戦で勝利をもたらしたのは、正GKが負傷して出番が回ってきた控えGKゴイコエチェアだった。勇猛果敢にセーブする24年前の守護神と、この日の「PK職人」の姿が重なった。頂点へあと1歩に迫り「ドイツ戦は難しい試合になるだろうが、開幕前から決勝を目標にしてきた」。ここまで17得点を挙げる破壊力抜群のドイツ攻撃陣を止めるのは、ロメロしかいない。

 ◆セルヒオ・ロメロ

 1987年2月22日、アルゼンチンのミシオネス州生まれ。07年にアルゼンチンのラシンでプロデビュー。同年のU-20W杯で全試合フル出場し、優勝に貢献。当時オランダ1部AZ監督のファンハール氏に実力を認められ、同クラブに移籍した。11年にサンプドリア(当時2部)に移籍。昨季はフランス1部モナコに期限付き移籍して3試合に出場した。09年に代表デビュー。通算53試合に出場(10日現在)。192センチ、87キロ。

 ▼最多5度目のPK戦

 アルゼンチンがPK戦でオランダを下し決勝進出。これでアルゼンチンのW杯でのPK戦は国別最多5度目で、戦績は4勝1敗となった。PK戦で4勝は、4戦4勝のドイツと並び最多勝。1敗は06年準々決勝のドイツ戦で喫している。