82年に公開されたリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」は画期的な作品だった。

 舞台となった2019年のカリフォルニアは一日中雨が降り注ぎ、ビルの谷間のスラム街はネオンの薄明かりも怪しく、なぜか漢字の看板が並んでいた。

 「鉄腕アトム」に親しんだ小学生の頃から抱いていた科学万能の明るい未来像は打ち砕かれ、今では当たり前になった「悲観的な近未来像」を最初に実感した作品であった。

 「ブレードランナー 2049」(27日公開)は、この30年後を舞台にした続編だ。メガホンは、今年のアカデミー賞8部門にノミネートされた「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。オリジナル作品への思い入れが強いのだろう。2時間43分に及ぶ長尺の密度は濃い。

 労働力として開発された人造人間レプリカントは前作の舞台となった19年以降も反乱を繰り返し、製造が禁止されている。生態系の崩れたこの時代に食料生産で財をなした起業家ウォレス(ジャレッド・レト)は、従順な新型レプリカントの製造を開始する。「完璧な機能」を目指す彼の心はなかなか満たされない。

 逃亡を繰り返す旧型レプリカントの追跡を続ける主人公のブレードランナーK(ライアン・ゴスリング)は、淡々と日常業務をこなしているが、捜査中のある発見をきっかけにタブーとされる領域に足を踏み入れてしまう。人間とレプリカントに明確な境目はあるのだろうか…。その答えは前作でレプリカントに恋愛感情を抱いてしまったデッカード(ハリソン・フォード)が握っていた。新旧ブレードランナーの出会いは「パンドラの箱」を開けるきっかけとなる。

 その答えはウォレスが目指す「完璧な機能」開発のカギとなるもので、2人はウォレス支配の巨大産業、旧型レプリカントの反乱組織、ブレードランナーを指揮する警察機構の三つどもえの争いに巻き込まれていく。

 ヴィルヌーヴ監督は都市の機能美と荒廃に前作以上のメリハリを付け、対照の構図を浮かび上がらせる。上空から見る広大なソーラーパネル群の幾何学模様とKの住む質素なアパートの生活感。高性能ドローンを格納したKのスピナー(空飛ぶ自動車)は、反乱組織の原始的な武器にあえなく撃ち落とされる。

 究極のコントラストに、「メッセージ」でも多用した腹を揺さぶるような低い効果音が相まって、丸ごと視聴覚を取り込まれる。

 冒頭に用意された旧型レプリカントとKの対決シーンは、古い農家を舞台に上質なホラー映画のようにアングルと間が見事だ。この場面を皮切りに、登場人物は入れ替わりながらもほぼ「1対1」の対決(対話)で物語が紡がれていく。コントラストにこだわった監督の美意識がここにも見え隠れする。

 Kがバーチャル恋人(アナ・デ・アルマス)と心を通わせたり、巨大なホログラム広告とリンクしたりするくだりは、前作の時代なら上滑りする部分もあったのだろうが、仮想現実が当たり前になった今はしっくりくる。IT長者ウォレスの「裕福なミニマリスト」ぶりも、さもありなんだ。

 中盤からはKの誕生日が刻印された木彫りの馬のミステリーに引きずられ、近未来の描写同様にストーリー展開にも奥行きがある。

 年末には「スターウォーズ」のエピソード8、「最後のジェダイ」も控えており、今年はSF映画の当たり年かもしれない。【相原斎】