マレーシア映画「夕霧花園」(7月24日公開)は、日本統治下の戦中から半世紀の激動を背景に悲恋を描く大作だ。ヒロインには同国出身で国際的に活躍するアンジェリカ・リー(45)。相手役を阿部寛(57)が演じている。メガホンを取った台湾の気鋭、トム・リン監督(44)に聞いた。

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40~80年代のマレーシアはまさに激動の時代だ。日本の占領下から、戦後は再び英国の植民地統治が始まる。マラヤ共産党の武装闘争は一貫してやむことがない。そして「金のユリ」の暗号名で呼ばれる旧日本軍の埋蔵金のウワサは根強く、この作品のカギにもなっている。

こうした背景をもとに書かれた原作は英ブッカー賞にもノミネートされたマレーシア作家タン・トゥアンエンの「The Garden of Evening Mists」だ。

リン監督は「マレーシアの製作会社は自国の裏面史とも言える作品を、むしろ外国人に第三者的な目で撮って欲しかったようです。それで僕に話が来た。原作が素晴らしいんですよ。国籍、差別、偏見を越えた2人の愛、その情感が激動の歴史の中で細密に書き込まれている。それを映像化するのは容易ではない。とんでもない挑戦になるなという思いはありました」と振り返る。

憎しみの対象のはずが、いつの間にかヒロインが引かれていくミステリアスな日本人庭師は文字通り物語のキーマンとなる。阿部寛のキャスティングは監督のたっての希望だった。

「彼の映画、ドラマをたくさん見ていて、実は大ファンなんですよ。この謎めいた役には彼しかないと思いました。英語の演技の経験があるのか、とかそんな必須条件をまったく考えないまま、まっさきにオファーを出したんです。一定期間のやりとりはあったんですけど、引き受けてくれた時は本当にラッキーだと思いました」

美しい日本庭園を造り上げる一方で、入れ墨師としてヒロインの背も彩る。さらには埋蔵金「金のユリ」との関わりも見え隠れする。謎めいた難役である。リン監督は撮影現場に現れた阿部に驚かされたという。

「現場に現れたときからアリトモ(有朋=役名)そのままのたたずまいでした。準備が万全だったことにまず感激でした。日本人ならではの行動、考え方については阿部さんが頼りでした。撮影前のディスカッションでは、いつも彼の意見が参考になりました。日本人3人だけのシーンがあるんですけど、その時は段取りからすべて阿部さんの仕切りで、文字通り彼が監督。僕は一観客の立ち位置でしたね(笑い)」

阿部は「有朋には武士道のような一種の美学があり、それは共感できるものでした。善悪だけで戦争を描くわけではなく、傷ついた者同士が愛を通じて許し合う物語に感銘しました」と出演の動機を話している。

庭園と入れ墨は「金のユリ」の在りかを示唆する象徴的な存在となっているが、入れ墨=ヤクザを連想する日本人には、違和感もある。

「私も撮影前は庭園と入れ墨に対する理解は浅かったと思います。だから、原作で有朋が手にしている庭園の書物を読み、入れ墨と浮世絵の関係についても研究しました。歴史をひもといてみれば、入れ墨には独特の美学があって、ヤクザが入れるようになったのはかなり後です。そもそも関係があったわけではないんですね。撮影前の『宿題』をしたおかげで僕自身、庭や入れ墨を見る目が変わり、得した気分です」

アンジェリカ・リーふんするヒロインは、日本軍の慰安所で非業の死を遂げる妹の夢だった「美しい日本庭園を作ること」を実現するために有朋(阿部)の元に赴く。憎悪から敬愛、そして「金のユリ」に関わるスパイではないかという疑念に至る心理描写は複雑だ。

「リーさんの作品への理解、準備も阿部さんに負けず劣らずで、2人の呼吸はピタリと合っていました。英語は2人にとって、ともに母国語ではないのでそのニュアンスの確認。時系列通りの順撮りで進行したわけではないので、シーンごとにその時々の2人の関係性、心理状態の細部を確認すること。その2つだけが私の仕事だったと言っていいと思います。監督としては今までで一番楽だったかもしれなません(笑い)」

主舞台となったマレーシア・キャメロン高原の美しい景色も印象的だ。

「炎天下。巨大な庭石を動かす重労働…。この作品の一番の苦労と言えばそこかもしれません(笑い)。庭園の横にせせらぎがあったんですが、休憩の度に阿部さんはそこに走っていって足を冷たい水につけていましたね」

監督を目指したきっかけは、15歳の時に見たエドワード・ヤン監督の「■嶺街少年殺人事件」(91年)だった。

「高校時代はあまり勉強に打ち込めなくて、まあ好きな映画に関われればいいや、くらいの気持ちで(世新大)映画学科に進みましたが、いつの間にか映画作りの楽しみを実感するようになりました。それもこれも、殺人事件に至る少年の心理を描いたあの映画の衝撃があったからだと思います」【相原斎】

◆トム・リン 1976年台湾生まれ。08年の初の長編「九月に降る風」で金馬賞オリジナル脚本賞。11年に「星空」。16年の「百日告別」は台北電影節のクロージング作品となった。

※■は牛ヘンに古

(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

リモート取材で語る台湾のトム・リン監督。「背景」はロケ地のマレーシア・キャメロン高原。
リモート取材で語る台湾のトム・リン監督。「背景」はロケ地のマレーシア・キャメロン高原。