演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる若手歌手が台頭しています。ニッカンスポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、音楽担当の笹森文彦記者が、注目歌手を紹介していきます。今回から「令和の歌謡歌姫(ディーヴァ)」がキャッチフレーズの藤井香愛(ふじい・かわい=33)です。

凛とした笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)
凛とした笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)

「かあいじゃなくて!かわいです」。藤井香愛のオフィシャルブログのタイトルである。「かわいは、ハワイの発音です」と説明している。とても気さくなディーヴァだ。

3月10日に発表した3枚目の両A面シングル「その気もないくせに/鳴かない鳥」がヒットの兆しを見せている。「その気もないくせに」(作詞・千家和也、作曲・幸耕平、編曲・萩田光雄)のプロモーションビデオは20万回再生を突破した。

「その気もないくせに」は、20年4月に発売された作品だが、コロナ禍の影響でコンサートなどで披露する機会が、ほとんどなかった。「いい曲なので歌い続けたい」という藤井の思いもあり、「鳴かない鳥」と両A面にした「新装盤」として今回発売された。

「その気もないくせに」(新装盤)のジャケット
「その気もないくせに」(新装盤)のジャケット

藤井 曲調はラテンテイストで、とてもノリのいい曲です。好きな男性に振り向いてもらえない、純粋な女性の歌です。タイトルだけ見ると、気の強い女性が男性を怒っているようなイメージを持たれるかもしれませんが、詞の内容は恋愛に純粋な女性が振り向いてもらえず、「酔わせてどうするつもり」「泣かせてどうするつもり」とすねて言っている感じです。

作詞を手掛けた千家和也氏(故人)は阿久悠さんやなかにし礼さんらと同時代に活躍したヒットメーカーで、19年に73歳で亡くなった。「ひと夏の経験」など山口百恵さんの初期の作品を数多く手掛けている。

実は百恵さんは、藤井にとって憧れの歌手だ。中学時代に聴いた「プレイバックPart2」に衝撃を受け、当時夢中だったダンスミュージックから、歌謡曲に傾倒していくきっかけとなった。編曲を手掛けた萩田光雄氏も、「プレイバックPart2」を始め、「イミテーション・ゴールド」「美・サイレント」「秋桜」など、百恵さんの多くの作品を編曲した。

藤井 千家先生にはお会いしたことはありませんでしたが、「その気もないくせに」は(作曲の)幸先生が千家先生から預かっていた詞だったそうです。私に合うんじゃないかと曲を付けてくださいました。山口百恵さんのように歌いたいな、という思いは今でもすごくあります。

両A面のもう1作「鳴かない鳥」(作詞・さいとう大三、作曲・幸耕平、編曲・坂本昌之)も秀作だ。互いの幸せを思っているからこそ離れていく、切なくも強い女心を、やさしいメロディーで歌う。

藤井 歌詞に「あなたはねこでいい」とあるんです。最初は「ねこ?」って思いましたが、ねこには自由気ままな感じがあるじゃないですか。すり寄って来たかと思えば、スッといなくなったり。歌い込んでいくうちに、強くて泣かない女性と好対照な男性なんだというのが理解できました。すてきな曲です。

どちらも大人の藤井だからこそ、歌いこなせる作品である。

小学生の頃から歌手を夢見て生きてきた。18年7月に「東京ルージュ」で歌手デビューしたのが29歳。遅咲きといってもいい。歌手になるためにさまざまな経験と努力を積み重ねてきた藤井が、ラストチャンスと決意して臨んだのが、17年8月に行われた演歌・歌謡曲系の新人オーディションだった。現在所属する徳間ジャパンコミュニケーションズとラジオ日本が主催したオーディション「歌姫、歌彦を探せ!!」だ。

藤井 20代後半となり、周りでは結婚したり出産したり、親友はネイリストになって「あれっ。置いていかれちゃった」って思っていた時期でした。バイト先の不動産会社から「正社員にならないか」と声を掛けていただいて、心が動いていました。でもその親友が「香愛の歌、好きだよ」って言ってくれたのが、すごくうれしくて。このままフェードアウトしていくのはもったいないなって。自分の中で踏ん切りを付けなければと思って臨みました。

オーディションは公開形式で、他のレコード会社やプロダクション関係者が逸材を求めて来場していた。藤井はチャン・ウンスクの「赤坂レイニーブルー」で勝負し、応募総数約2500人の中から、12人のファイナリストに選出された。しかし、最終発表で名前は呼ばれなかった。

藤井 発表の時、手のひらにツメの跡が残るぐらいグッと手を握っていました。終わって、この会場の扉を、建物を出たら、全てが終わりだと思って、会場内をゆっくりと歩きました。「誰か声を掛けて」と思っていました。扉から出た時に「ああ、終わった」って思いました。

賞は逃したが、実は審査員だけでなく、会場の多くの人に強烈な印象を残していた。自己紹介では「金なし、男なし、定職なし。私にあるのは歌だけです!」と強烈なアピールをしていた。

藤井 オーディションの募集年齢に、私は結構ギリギリだったんです。ファイナリストに残っても、若い子が多いだろうから、歌以外の部分でも印象付けなければと思って。何でもいいから「ああ、あの子あれの子ね」って思ってもらえるような何かをしたいなと思って、そのフレーズを言ったんです。

2週間後、居酒屋で残念会を兼ねた女子会を開いていた時に、携帯電話が鳴った。スカウトだった。喜びのあまり、店の前で思いっきり飛び上がった。「令和の歌謡歌姫」に向けてスタートを切った瞬間だった。(つづく)

秋の花々を背に優しい笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)
秋の花々を背に優しい笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)

◆藤井香愛(ふじい・かわい)本名同じ。1988年(昭63)7月26日、東京都生まれ。安室奈美恵やSPEEDに憧れ、小学2年生から歌やダンスのレッスンを開始。高校時代に雑誌「egg」読者モデル。08年から東京ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスユニット「DDS」に参加。公認サポーターソングを歌うユニット「DAD,S」ではメインボーカル。デビュー前に第一興商のカラオケのガイドボーカルを担当。18年に「東京ルージュ」で歌手デビュー。19年に第2弾「TOKYO迷子」を発表。20年「日本作曲家協会音楽祭」で奨励賞。趣味は野球観戦、食べ歩き。資格はパソコンスピード検定2級のほか、文書デザイン検定、日本語ワープロ検定、情報処理技能検定で、それぞれ1級。カワウソ博士でもある。163センチ、血液型B。

◆第7世代 もともとは若手芸人が18年ごろに提起した主に10年以降にデビューした芸人の総称。これを機に第1世代(コント55号、ザ・ドリフターズら)から第7世代までの世代区分が生まれた。この発想を戦後歌謡界に当てはめたのが演歌・歌謡曲版。デビュー年や初ヒット年を参考に、第1世代が「春日八郎、三橋美智也、三波春夫、村田英雄」ら。第2世代が「美空ひばり、島倉千代子、橋幸夫、北島三郎、舟木一夫」ら。第3世代が「森進一、千昌夫、五木ひろし、都はるみ、水前寺清子、大月みやこ、八代亜紀」ら。第4世代が「石川さゆり、小林幸子、川中美幸、坂本冬美、伍代夏子、香西かおり、藤あや子、細川たかし、吉幾三」ら。第5世代「水森かおり、氷川きよし、北山たけし」ら。第6世代が「山内恵介、三山ひろし、福田こうへい、市川由紀乃、丘みどり」ら。

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年入社。文化社会部で長年音楽記者。初代ジャニーズ事務所担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、中島みゆきら数多くのミュージシャンをインタビュー。93年から日本レコード大賞審査員を務め、16年は審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。