劇団四季「ライオンキング」が12月20日、東京・大井町の四季劇場「夏」で1998年12月20日の日本初演から20年ロングランを達成した。84年に「キャッツ」が1年ロングランを達成するまでは、日本では「ロングラン」という言葉に縁がなかった。公演は1カ月単位で行われるのが通常で、長くても2、3カ月だった。だから、「キャッツ」のロングランは無謀にも思えた。しかし、結果は連日満員で、余力を残しながら1年ロングランを完走した。「キャッツ」の成功によって、ロングランの流れが出来上がった。
ブロードウェーでは「オペラ座の怪人」が88年1月から、「シカゴ」が96年11月から、「ライオンキング」は97年11月から、現在までロングランを継続している。ロンドン・ウエストエンドでは「レ・ミゼラブル」が85年から33年もロングランしているが、四季版の20年という記録は日本のミュージカル公演としては異例の長さとなる。ブロードウェーでも「キャッツ」が18年、「レ・ミゼラブル」も16年と、20年を超える作品は少なく、20日時点の四季版の総公演回数は1万1732回、動員数は約1197万人と、日本演劇史上最多を記録している。
もともと「ライオンキング」は、ロングランが使命だった。劇団四季の代表だった故浅利慶太氏が常設の専用劇場として四季劇場「春」「秋」の2劇場を98年に開場した時、「春」のこけら落とし公演に選ばれたのが「ライオンキング」だった。ロングランできれば、観客の観劇機会が増え、劇団経営も安定する利点がある。「春」はロングラン劇場として船出し、生命賛歌にあふれた作品の力もあって、軽く、5年、10年とロングランを重ねた。
しかし、11年に最大の危機が訪れた。3月の東日本大震災のため、公演の一時中止を余儀なくされた。その後、再開できたが、ロングランを支えた「修学旅行」の観客が減った。空席も目立つ日が続いたが、世の中が落ち着くにつれ客足も戻った。17年には「春」「秋」がある地域が再開発されることになり、両劇場がいったん取り壊されることになった。そのため、大井町の四季劇場「夏」へ引っ越しが決まった。ブロードウェーでは劇場を移してのロングランはあるが、日本では初めてのケースだった。「夏」は「ライオンキング」を受け入れるための大々的な作業を行い、「春」のファイナル公演から1カ月半後に再スタートした。
特別カーテンコールでは、20年を振り返る特別映像が上映され、劇中のナンバー「サークル・オブ・ライフ」が特別演出で披露された。出演者を代表してスカー役の道口瑞之が「お客様おひとりおひとりが作品を愛し育んでくださったからこそと、心より御礼申し上げます。今後もさらなるロングランを目指し、挑戦を続けて参ります」とあいさつした。25年、30年へと、日本演劇で未踏のロングラン記録を目指している。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)





