乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



一貫性を持つことってとても難しい。



人は成長するものだし

それが心身のものでなくても

成長していなくても歳はとるし、



自分の成長よりも周りの成長の方が

そのスピードが早かったとしても

時間と言うのは過ぎていくし、


その時その瞬間に感じたこと

それが継続されるわけではなかったりする。



一貫性のある生き方をしたいと思っていても、

それを実現する事は

なかなか難しいものである。



成長に伴うものだったり、

時間の経過に伴うものだったり、

自分は変わっていなかったとしても

周りが変わったことによって

自分も変わらざるをえなくなる場合もある、



そういった時、

過去の自分が考えていたことや

価値観、発言、そういったものと

今の自分との一貫性が

取れなくなることがある。




過去があるから今がある。




これは当たり前のことだけれど、

過去が今に生きているからといって、

その全てが今と

イコールで繋がっているかというと

そうではない。




一貫性がある繋がりに見えて、

様々なところで色々なものに刺激されて、

曲がったり折れたり

伸びたり砕けたりしながら、

形を変えて今と繋がっている。



だから、



「あの時はこう言っていたのに

今はこう言ってる、

どっちが正しいんだろう」



きっとそれはどっちも正しい。



あの時の自分はこう感じていた、

でも今はこう感じている。



しかし、

これを成長や変化と呼ぶ場合もあれば、

一貫性の無いただデタラメなことを

言っている人だなと思ったり、

人から思われることもある。




前提として、

自分の考えや行動に対して自信を持ち、

その意図や根拠を説明できる状態で

人と関わっているのであれば、




もしその過去の言動と

今の自分との一貫性が

取れなくなったとしても、

それをただのデタラメな人間と

一言で片付ける必要は無い。




勿論、変化や成長、周りの流れ、

それを言い訳に自分の意思の不安定さを

正当化する事は良くないけれど、

人が生き続けていく以上

一貫性が取れなくなる事は

当たり前のことだと思う。




だが、人と関わる上で

人格が変わったように思われてしまうほど

一貫性が無くなることは、

良い印象を持たれないだろう。




自分という芯の部分を保ちながら、

人や物から刺激を受けて

考えや価値観が変わっていくのは、



その結果が何をもたらすかを

保留したとしても、

自分の成長に間違いなく繋がる

良い傾向だと思う。



一貫性にとらわれすぎて

自分はこうでなければ

いけないんじゃないかと、

あまり良い方向性ではないところへ

自分を置き続けてしまったりすると、



逆に周りが見えなくなったり

周りから求められていることに

気づけなかったりする。



芯を保ちつつ、

自然と崩れていった部分は

綺麗に並べ直すのではなく、

その崩れを少し支えてあげる位で

良いのかもしれない。

(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)