大沢たかお(55)が、プロデューサーを務めた主演映画「沈黙の艦隊」(吉野耕平監督)でAmazonとのタッグを実現し、世界基準を目指した作品作りに取り組んだ。13年に主演映画「藁の楯」でカンヌ映画祭(フランス)に初参加した際、日本の俳優が世界では商品として確立していないと自認し、精進を誓って10年。「日本はできる」と自信を持って口に出来るようになった今、満を持して世界に挑む。【村上幸将】

★「必ず時代変わる」

13年5月21日…大沢は映画の世界最高峰の舞台・カンヌにいた。「藁の楯」の公式上映から一夜明け、三池崇史監督と対談した中で、自らにも突きつけるように厳しい言葉を口にした。

「俳優は監督に支えられている。商品として確立していない。日本の仕事を手を抜かずにやるしかない」

世界3大映画祭に初参加した、あの日から10年…当時の発言の裏に、1つの予見があったと明かした。

「インターネットが普及してきて。当時はYouTubeは今みたいな状況ではなかったと思うけれど、必ず時代が変わり、海外に足を運ばない時代になると思った。だから、土台を日本にしても世界に見られる世界が来ると思ったし、10年くらいかけて、ようやくそうなったと思うんです」

★実写化不可能覆し

19年の映画「キングダム」でタッグを組んだ松橋真三プロデューサーと2年前「沈黙の艦隊」実写化の企画を立ち上げた。ただ、作者の漫画家かわぐちかいじ氏(75)自ら「テーマ、スケールにおいて実写化できない。何て無謀な…」と語るなど実写化不可能とみられた作品だった。潜水艦を描く以上、防衛省や海上自衛隊の協力も必要だが、日米両政府が極秘建造した原子力潜水艦に核ミサイルを積み、海自を辞めて反乱逃亡する海江田四郎艦長が主人公の物語だけに、協力が得られる保証もなかった。

そこに、日本で映像制作を始めて5年で劇場映画製作を模索していたAmazonが現れ、製作費という最も高いハードルを越えるメドが立った。また大沢が知人を通じ安倍晋三元首相や防衛省に接触し協力体制も構築できたが、せめぎ合いはギリギリまで続いた。

「難しかったのは(米)Amazon本社のグリーンライトがつかないと、防衛省をはじめ国の機関に言えないこと。見切り発車できないから待ってもらうしかなかったんですけど、意外とギリギリまで引っ張り数カ月かかった。許諾が下りたのは去年の前半です」

GOが出た時点で、既にロシアがウクライナに侵攻していた。昨夏に撮影を開始することは出来たものの、頓挫さえ頭をよぎった。

「ロシアは(日本の)すぐ上。防衛省も海自も国防の問題があるし、映画を作っている場合じゃ、ないじゃないですか。言ってもエンターテインメントなんで厳しいかなと思いました」

それでも、日本で初めて海自潜水艦部隊の協力を得て、実際の潜水艦を使用した撮影を敢行。米俳優トム・クルーズがプロデュースしたハリウッド大作「ミッション:インポッシブル/デッドレコニングPART ONE」で描かれた、最新鋭の潜水艦の撃沈シーンに、ひけを取らない艦隊戦との評価も得ている。

「日本、できるんですよ。10年前だったら難しかったと思うけれど、今はCGもすごい。協力体制さえあれば国も潜水艦の撮影をさせてくれる。いろいろなものが変化してきたと思う」

公開前に撮影地の広島県呉市を訪ね、自衛官50人と懇談した。原爆が投下された地・広島で、核や安全保障など現在の世界情勢と直結する、社会性の高い映画を完成させたことを鑑みて俳優、エンターテインメントの役割に思いをはせた。

「主人公は核を使い反乱を犯す、テロとも言える行為をする。実際に世界で起きたら大変な問題になる。エンターテインメントだから成立する話をギリギリまでタブーを無視して攻めたら、どうなるかと話し合った。皆で核のことを考えようというより、映画を見た瞬間に自分や自国の身の振り方を考える、きっかけになれば…そこに観客を巻き込むのがエンターテインメントの力で、役割としては十分。先の深いテーマを考えるのは国、政治、マスコミの皆さん(の仕事)。映画が展開し続編になっていった時は、国民がどう考えるかという描写にもなるだろう。だから、こうでなきゃいけないとか、あえてメッセージは入れていない」

★先の未来を見据え

「キングダム」では、人間離れした巨大な肉体を誇る大将軍・王騎の役作りで20キロ近く増量したが激しい鍛錬の末、腹直筋断裂の重傷を負った。実写化不可能と言われる作品に挑む裏には、観客として喜びを覚えた子供の頃の記憶がある。

「『スター・ウォーズ』を見て宇宙に行けるって思い、『スーパーマン』を見て空を飛べる、すごいなと思った。それが僕にとってのエンターテインメント。そういうことをやるのが役目だと頑張ってやっているだけ。でも、来る役が無謀になってきているので、どこかで線を引かないと死んじゃうな…みたいに最近は思っていて。母親も『大丈夫?』と気にしています」

そうした役目を意識しだしたのは、94年のフジテレビ系「君といた夏」で俳優デビューしてからだ。

「モデルを辞めて無職で『俳優、やってみたらいいんじゃない』と声をかけてもらい、なったので、演技が好きというのは1ミリもなくて。デビュー3年目で自分の会社をつくったら、誰も番号を知らないので全然、電話が鳴らない。そこから知り合いに話を聞く中で、ドラマや映画の現場に呼んでもらえるようになった。人に必要とされたことが、うれしくて何とか応えたいと思ったら30年たった」

カンヌで「どこでやっても俳優は俳優。芝居する以上、ジョニー・デップもトム・クルーズも一緒。同じ熱量を注ぎたい」と語った。配信も普及し、世界と真正面から勝負できる時代になったことを喜ぶと同時に重圧も感じている。果たして今、日本の俳優は商品として確立したのだろうか?

「分からない。本当に正念場。どっちに転んでも、おかしくないくらい試されていると思う。高度成長期とは違うので、我々の国だけでやっていくのが無理なのはエンターテインメントもイコール。基準を変えないと生き残っていけない」

「沈黙の艦隊」の成否が、日本のエンターテインメントの今後を左右する、1つのカギだと考えている。

「日本でもできると思ってもらえて、投資家が(資金を)出してくれれば、日本には才能がある人がいっぱいいる。世界に打って出て、世界基準の中で堂々と戦えるようになれば面白い。ドラマでも映画でも、我々が良いものを提供して日本がすごいとなっていかないと、予算は削られて他国に行ってしまう。だから、みんなが頑張らないといけない。今回、出方によってはAmazonは日本に見切りを付けるかも知れない。すごい責任重大なプロジェクト…簡単にコケられない。本国(米国)は見て喜んでいるらしい。これで終わって先に行かないとヤバいですよね。頑張ります」

続編を見据える大沢の視線は10年…いや、その先の未来を見据えている。

▼かわぐちかいじ氏

漫画を描く時、キャラクターのモデルを設定するが、海江田は唯一、モデルがない。(撮影現場を)拝見し、暗いCIC、戦闘指揮所のセットの中にスポットライトが当たって1人、制服姿の大沢さんが帽子の縁を上げるとピカッと光る目が良い。その時、海江田はここにいると納得できた。それ以来、海江田艦長と大沢さんとのオーバーラップがどんどん進んでいます。

◆大沢(おおさわ)たかお

1968年(昭43)3月11日、東京都生まれ。専大在学中の87年にモデルとなり、パリコレクションなどで活躍。04年「解夏」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞。06年「地下鉄に乗って」で日刊スポーツ映画大賞助演男優賞、日本アカデミー賞優秀助演男優賞、13年「終の信託」で日本映画批評家大賞助演男優賞。181センチ、血液型A。

◆「沈黙の艦隊」

日本近海で海自の潜水艦が沈没し全76人が死亡と報じられたが、日米両政府が極秘建造した原潜シーバットに乗務させるための偽装工作だった。海江田艦長(大沢)は逃亡し独立戦闘国家「やまと」を宣言。海自潜水艦「たつなみ」の深町洋艦長(玉木宏)は海江田を追う。