9日~10日まで放送されたフジテレビ「27時間テレビ にほんのれきし」で、総合司会のビートたけしさん(70)が82年2月のホテルニュージャパン火災とのニアミスを語った言葉です。ジャーナリスト池上彰さん(67)と戦後史を振り返るコーナーでしたが、たけしさんは無名時代から昭和のあらゆるニュース現場と意外な接点があることが分かり、引きの強さに圧倒されました。

 ニュージャパン火災は、北海道帰りの出来事。お金がなく、タダでニュージャパンに泊まれるようフジテレビのプロデューサーに便宜を図ってもらおうとしたが考え直し、放送作家高田文夫氏にお金を借りてプリンスホテルに泊まった、という顛末でした。翌日、テレビでニュースを見て「真っ青になった」と語りました。

 58年12月の東京タワー完成も“当事者”です。お父さんが塗装職人でタワーのペンキを塗っており、「命綱をつけて上の方へ行くと、風による揺れがすごくて、塗るというよりかけているという感じだったらしい」。なるほど感満載の証言で、こういう話があると当時のタワー建設の偉業がよりくっきりと感じられます。

 64年10月の東京五輪では、不人気競技の会場に都立高生が動員され、ホッケー決勝インド対パキスタン戦が行われた駒沢オリンピック公園にいたというエピソードを披露。番組では当時の試合映像を流していて、観客席に確かに学生服の集団が。「ルールも知らないのに」観戦させられた退屈さを語り、スタジオも爆笑でした。

 68年の「金嬉老事件」は91年にドラマで演じており、服役後強制送還される金嬉老元受刑者から手紙をもらったことを告白。これからはまともに生きる、というような内容の手紙だったものの、その後また事件を起こしたというリアルなものでした。ドラマは、迫力も人間描写もずしんとくる傑作だったので、主演俳優から金嬉老元受刑者の後日談が聞けたのはラッキーでした。

 驚いたのは、68年10月の永山則夫連続射殺事件とたけしさんの意外な接点。4人を射殺した永山則夫と、新宿区の同じジャズ喫茶でアルバイトしていたというのです。当時のシフトは「早番」「遅番」があり、「早番の永山が、あの事件の永山だよ」と関係者から聞いたそうです。「入れ替えの時に会っていて、えーって思った」。さらに、三島由紀夫の割腹自殺では市ヶ谷近くにいました。「あの時はタクシーの運転手をやっていて、偶然市ヶ谷方面に客を乗せていた。渋滞でお客さんが降りちゃって、ラジオかけたら事件やってるわけ」。

 もう、昭和史に残るあらゆる事件の現場に“皆勤”していて、たけしさん本人も「ほんと、近くにいる。犯人なんじゃないかと」と苦笑いするほど。この引きの強さ、新聞記者としてはうらやましい限りです。

 NHK記者としてあらゆる現場に臨場している池上彰さんとも相性抜群でした。ニュージャパン火災では池上さんが「火元は外国人宿泊客の寝たばこ」をスクープしたとか、たけしさんのフライデー襲撃事件に端を発する写真週刊誌廃刊をスクープしたとか、取材者の視点からたけしさんの証言をジャーナリズム化していて、なんだかんだ、分厚い戦後史になっていました。

 27時間の平均視聴率は8・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。史上最低だった昨年の7・7%を0・8ポイント上回りました。「池上彰が見た!たけしと戦後ニッポン」が放送された10日午後7時~9時半の視聴率は12・8%。かなりの注目度だったことが分かります。

【梅田恵子】(B面★梅ちゃんねる/ニッカンスポーツ・コム芸能記者コラム)