昨年12月に肺炎のため死去した俳優、作家でプロデューサーの安藤昇さん(享年89)のお別れの会が28日、東京・港区の青山葬儀所で行われ、発起人を務めた俳優梅宮辰夫(77)が、体調不良を押して参列した。

 足取りもおぼつかない様子で会場入り。献酒をする際にも、よろめきながら祭壇へ向かった。「昭和のスターが皆無のような状態になりました映画界、残念です。寂しいです。せんない(仕方ない)ことです。どうか、そちらの世界でもお元気で」。声を絞り出すようにあいさつすると、歩行補助具を使って歩きながら、車に乗って会場を後にした。当初、予定されていた囲み取材も、体調不良を理由にキャンセルした。

 この日は他に歌手北島三郎、俳優岩城滉一、村上弘明、降旗康男監督らが出席した。北島は59年に上京し、渋谷で流しの歌手をしていた時代に安藤さんと知り合ったという。「歌手になって映画をやった時、東映の京都撮影所で『この世界でもよろしく』とあいさつしてくださった」。岩城は「普段、どう生きているかが演技に出る」という安藤さんの格言めいた言葉を紹介した。

 会の実行委員長を務めた海老沢信氏によると、安藤さんは死の数日前までは元気だったという。「『千疋屋のメロンが食べたい』というから、(12月)16日に病院へ持って行ったら、もう酸素マスクをしていた。メロンを待っていたんじゃないですかね」と寂しそうに笑った。

 代表曲「惜別の唄」などが流れる中、映画関係者やファンら含め700人が次々と焼香をした。花好きだった安藤さんのため、祭壇はカーネーションやこちょうらんなど4500本の花で作られた。会場の一角には、過去の写真や新聞記事などが展示されており、参列者たちが懐かしそうに見入っていた。