劇団四季の元代表で、「キャッツ」「ライオンキング」のミュージカルを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。長年交流のあったプロ野球元西武監督の森祗晶氏(日刊スポーツ評論家)は故人の思い出を語った。

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 素晴らしい方でした。私がハワイに移住してからはお会いする機会が減りましたが、人生の節目には良き理解者として背中を押していただきました。現役を引退した直後の1975年(昭50)、私の野球評論をお読みになり、会って話をしたいとご連絡をいただいてからのご縁でした。

 たびたび四季の稽古を見学させてもらいました。とても厳しい稽古で、野球選手でも音を上げしまうだろうな、と感じたものです。ある時、公演初日を控えて突然、主役を代えられたことがありました。その役者の出来、周囲との呼吸がいまひとつと感じられたのでしょう。いい芝居をつくり上げるには、ときには「非情」にならなければいけない。野球にも通ずる大事なものを教わりました。

 西武監督時代の93年、選手たちを連れてミュージカル「コーラスライン」を見させていただきました。オーディションに挑む若者たちの過酷な競争を描いた作品です。日本シリーズ3連覇を果たしたあとで、選手たちの勝負への執念が希薄になっていると感じ始めていました。「野球以外にもこういう厳しい世界がある」と肌で知って欲しかった。おかげでそこから2年、リーグ優勝の回数を伸ばすことができました。

 本当に感謝の気持ちしかありません。心より、ご冥福をお祈りいたします。(日刊スポーツ評論家)