平成が幕を閉じようとしてる。平成を振り返る企画「平成プレーバック」で、たまのパーカッション担当石川浩司(57)を取材した。

たまは89年から放送された「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」通称“イカ天”で3代目グランドキングに輝き90年5月、「さよなら人類」でメジャーデビューした。

イカ天初出場時から、インパクトは強烈だった。当時大学生でバンドをかじっていた記者は、そのインパクトをいまだに覚えている。見た目はもちろんだが、初登場で演奏した「らんちう」はアングラ色丸出しの曲だった。当時、バンドに格好良さを求めていた記者にとってはある種のカルチャーショックで、まるで後ろからいきなりだれかに頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

グランドイカ天キングをかけた第5週、相手は当時のインディーズシーンでも圧倒的演奏力で人気を誇ったマルコシアス・バンプだった。グラムロック対アングラ。ここでたまが披露した「まちあわせ」がまた強烈だった。ギター1本で、しかもそのギターもメロディーと同じフレーズを奏で、それに合わせて4人で歌うという、ある種究極のシンプルパフォーマンスだった。

「勝とうが負けようがあれが最後だったんです。だったらギャフンと言わせてやれとなって、『負ける気満々でふざけてやろう』じゃないけど、そんな気持ちであの曲をやったんです。審査員の中には『最後になんてことをするんだ』とか言う人もいました」

だが、あの週の特別審査員には、映画監督大島渚さんがいた。

「あれは普通に判定したらあきらかにあっちが勝つんですけど、大島渚さんがいらっしゃって、たまを絶賛してくれたんです。それでほかの審査員もヘタなこと言えないとなったんじゃないですかね。そう臆測しています(笑い)」

たまは強烈な個性を放つ集団だった。その理由はその成り立ちにあった。

「僕らはバンドをやろうと集まったメンバーではなく、それぞれが活動する中で互助会的に集まったシンガー・ソングライター集団なんです。03年にバンドを解散してもう16年たつけど、今でも全員ソロシンガーとしてやっていますので、たまの時だけ集まって、今は元に戻った感じなんです」

もしオファーがあったら、再びたまをやるのだろうか。石川の答えはこうだった。

「たまとしてきちんとやるのは微妙ですね。相当なリハーサルも必要でしょうし、僕もミニパーカッションはあるけど…。たまを再現するには普通のドラムでも、普通のピアノでもなく、独自のものを使っているので、用意することさえ大変なんです」

できることなら新元号の元、4人のたまを再び見たい。そんな衝動に駆られた取材となった。