芸能リポーターの草分け的存在だった福岡翼さんが今年4月、慢性心不全増悪のため亡くなっていたことが分かった。79歳だった。

ワイドショーが芸能ネタで過熱状態にあった80年代。会見や囲み取材で第一列に陣取っていたのが鬼沢慶一さん、梨元勝さん、石川敏男さん、前田忠明さん…そして翼さんだった。番組司会者だけでなく、芸能リポーターに「華」が求められる時代だった。懐深く堂々と構えた鬼さん、「恐縮ですが」の前置きでいきなり核心に切り込む梨さんに対し、翼さんはソフトな口調で取材対象の心情に沿うように質問を進めた。そのためか、特に女優さんたちの信頼が厚かったように思う。

90年代には、テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」のコメンテーターとして何度かご一緒したことがある。CMの間の雑談では、「○○は妊娠していると思うから調べてみたら」とよく取材のヒントをもらった。女性タレントの体の微妙な変化やしぐさから「妊娠」を言い当てる独特の観察眼の持ち主でもあった。

長年の映画取材の経験から映画評論家(本人は映画ライターの呼称にこだわった)の肩書もあり、小社主催の「日刊スポーツ映画大賞」では、32年前の開設時から選考委員として関わってもらった。選考会では、どちらかといえば70年代から活躍した「大」が付く俳優、女優を強く推す傾向があった。その演じる姿勢や心情まで深く理解していたからなのだろう。

「応援演説」には長年の取材に裏打ちされた重みがあり、幾度となく選考会の行方を左右したことがあった。

鋭い視点の一方で、いつも笑顔を忘れない人だった。【相原斎】