深夜放送全盛期の70年代から80年代にかけて、ニッポン放送「たむたむたいむ」などのDJとして若者に絶大な人気を誇った、作詞家で放送作家のかぜ耕士さんが26日に亡くなっていたことが27日、分かった。76歳だった。

かぜさんは13年にギランバレー症候群で入院したが、翌年退院。ここ数年はエフエムさがみ「かぜ耕士のどこかでラジオ」でDJを務めていたが、最近は体をこわして静養していた。

かぜさんは日大芸術学部演劇学科在学中の67年12月に、故永六輔さんの門下に入って放送作家デビュー。69年には作詞家としてシング・アウトが歌った「涙をこえて」がヒットした。

72年にNHKラジオ「若いこだま」のパーソナリティーを務め、73年4月から78年6月まではニッポン放送の月曜から金曜までの帯の深夜番組「たむたむたいむ」のDJを務めた。アフリカの民俗楽器、たむたむの音色から始まる番組で、爽やかな声の優しい語り口で若者たちの兄貴分と慕われた。

その後もパーソナリティー、作詞家、放送作家として活躍。13年8月には指定難病のギラン・バレー症候群に襲われたが、厳しいリハビリに耐えて、翌年FMさがみ「どこかでラジオが」で復活した。

復活した際に日刊スポーツの取材に「若いなんて言えない年で病気になった。でもリハビリは苦しいなんて思っちゃいけない。何だって苦しいと思えば苦しい、明るくやろうと思った。人生で習い事をしたことがなかったけど、先生の言う通りにやろうと思った。我流の人生だったから、リハビリで初めてほめられて不思議な気がした」と笑いながら答えた。

その後はファンと交流を持って、映画や音楽などについて語り合うなど、独自の活動を続けてきた。近年は体調不良で仕事を休む事もあったが、最後までマイペースの活動を続けて慕われた。

 

◆かぜ耕士(こうじ)1944年(昭19)7月13日、埼玉県生まれ。68年4月アイ・ジョージ「太陽よ永遠なれ」で作詞家デビュー。69年に放送作家として活動開始。72年10月NHKラジオ「若いこだま」パーソナリティー。73年4月から78年6月までニッポン放送「たむたむたいむ」。78年4月から79年12月まで文化放送「セイ!ヤング」。80年7月から81年10月まで「オールナイトニッポン」。87年映画「ラッコ物語」脚本担当。13年からFMさがみ「どこかでラジオが」を担当。