第33回東京国際映画祭が9日、閉幕した。新型コロナウイルスの感染が全世界で拡大し、世界3大映画祭の1つ、カンヌ映画祭(フランス)も通常開催を見送らざるを得なかった中、観客に国内外の映画をスクリーンで見る機会を提供するためにフィジカルの上映を行った。しかも、気候も冷え込み、感染の拡大の可能性も増えるであろう、予断を許さない状況の中、10日間の日程を、大きな問題もなく乗り切った。取材前、感染予防対策含め、懸念していたが、無事に終えたことは素晴らしいと思う。

今回は、賞のあり方も思い切って変えた。コロナ禍で監督や俳優、観客も含めた人の国際的移動の困難や、感染対策の徹底など多くの制約があり、例年と同じような映画祭を行うことが難しいことから

<1>インターナショナルコンペティション

<2>アジアの新鋭監督を集めた部門「アジアの未来」

<3>「日本映画スプラッシュ」

の3部門を1つに統合した「TOKYO プレミア2020」全32作品を対象に、観客の投票で決める「観客賞」を唯一の賞とした。その結果、のん(27)の主演映画「私をくいとめて」(大九明子監督、12月18日公開)が選ばれた。観客賞自体、もともと映画祭にはあったが、今年のような特殊な状況の中、オンラインも活用しつつ「今年は観客の皆様が主役です」という考え方を根底に置くというあり方も、評価したい。

その上で、苦言を言いたい。コロナ禍で制限が多くなることは承知していたとはいえ、残念ながら、例年通り“取材しにくい映画祭”だった。

<1>原稿を書く場所がない

コロナ禍で密になる空間を作ることが出来ない以上、記者やカメラマンが執筆や写真の送稿を行うために集まる「国際プレスセンター」を設けにくかったことは理解できる。ただ、メイン会場の六本木ヒルズ内にもカンファレンスルームなどがあり、一定のディスタンスを保ったプレスセンターの設置は出来たのではないか?

今回に限った話ではなく、これまで設置されてきたプレスセンターも、映画祭事務局が同室だった時もあり、とにかく手狭で、座席も机も電源も少なく、確保が難しかった。欧米から取材に来た記者が、メイン会場の六本木ヒルズ周辺を右往左往する姿を目撃してきた。

<2>やむなく上映会場で原稿を書いていても、退出させられてしまう

今回は、メイン会場の六本木ヒルズにあるTOHOシネマズ六本木ヒルズに加え、規模の大きな舞台あいさつはEXシアター六本木でも開催された。プレスセンターがないため、同会場で舞台あいさつを取材した後、場内のベンチで原稿を書いていると「次の舞台あいさつの準備がありますから」と退出を余儀なくされたことが少なからずあった。どうしようもなく、付近の路上でパソコンを広げた。居場所を探し、六本木ヒルズ周辺を歩き回っているメディアも少なからずいた。

<3>舞台あいさつの取材時間が短く、書くネタが乏しい

東京国際映画祭は上映後、監督を中心に観客向けのティーチイン(質疑応答)を開くため、上映前の舞台あいさつは20分というパターンが多い。20分と言っても撮影込みで、同時通訳も入るため、登壇者が実質的に話をするのは15分もなく、どういう作品かを伝えるために必要なネタが乏しくなってしまう。ましてや今回は、コロナ禍のためアクリル板の設置などの時間もかかり、取材できる時間は、ますます少なくなった。

観客と直接向き合い、交流することを重視するのが、映画祭の意思であり色であることは分かるが、もう少し取材できる時間を増やして欲しい。映画祭のスタッフは「もっと取材したければ、上映後のティーチインも取材してください」と言うが、1日に複数の舞台あいさつ、会見があり、1つの作品の上映が終わるまで2時間前後待つのは難しい。

東京国際映画祭を取材する映画メディアは、会見や舞台あいさつを取材して、ウェブ含めてリアルタイムで報じることで、映画祭そのものや上映された作品の魅力を発信する。東京国際映画祭のことを伝えたい思いから取材しているのに、その取材活動自体が妨げられてしまうのは本当に厳しい。もっと厳しいのは、事務局の担当者に毎年、問題点を伝え続けているものの、そのことが全くと言っていいほど引き継ぎされていないようで、毎年、同じような問題に直面することだ。

国際映画祭というなら、一定程度の大きさのプレスセンターは作って欲しい。また、舞台あいさつの時間も、もう少し長くして欲しい。そうしたことを他の記者と話しているうちに、互いに口を突いて出てくるのが

「六本木での開催は、もう限界ではないか?」

ということだ。海外の大きな国際映画祭は、メインの上映会場、会見場、プレスルームなどが決まっているが、東京国際映画祭の場合、ティーチインなどが行われるTOHOシネマズ六本木ヒルズも、秋口以降は大作、ヒット作の上映が多く、劇場内でスクリーンを転々とするなど、落ち着かない。

そんなことを話しているうちに、85年のスタートから03年まで渋谷で開催し、渋谷の街全体を「シネマシティー」と位置付け、映画一色に染めた頃の方が一体感があり、良かったのでは? と意見が一致することが少なくない。

コロナ禍で幾つかの転換がされた東京国際映画祭。21年こそ、気持ち良く取材できる国際映画祭に変わって欲しい。