医師で落語家の立川らく朝(たてかわ・らくちょう)さん(本名・福澤恒利=ふくざわ・つねとし)が2日に亡くなっていたことが、11日までに分かった。67歳だった。所属事務所が公式サイトで発表した。

師匠の立川志らく(57)が所属事務所を通じてコメントを出し、「いくら年上でも弟子には違いないので師匠より先に逝くやつがあるかと言う思いです」「残念で仕方ありません」などと悼んだ。

らく朝さんは、00年に、46歳で弟子として志らくに入門し、プロの落語家人生をスタートさせた。

04年に家元立川談志さんに認められ、二つ目に昇進。15年に落語立川流真打トライアルにて真打昇進が決定した。

 

以下コメント全文

立川らく朝の訃報を聞いて、いくら年上でも弟子には違いないので師匠より先に逝くやつがあるかと言う思いです。らく朝が私の門をたたいた時は現役の医者でした。年も10歳も上。いくらなんでも年上の弟子は困るので断りました。

しかし落語家になるという若い頃の夢をかなえるには

最後のチャンスだというその情熱に押され客分の弟子にしました。一年くらい経過して前座修行からきちんとやって本当の落語家になりたいと言ってきたので談志に相談すると面白そうだから弟子にしちまえと。

ただ前座の雑用仕事は免除してその代わり週に一席、落語を教え、約2年で50席覚え二つ目に昇進。

当時は内科医と兼業というスタイルで落語家活動をしておりました。

やがて真打に昇進して健康落語なる新作をやるようになり、医者も辞めて落語家一本で活動を始め、私の後を追いワタナベエンターテインメントに入りこれからという時の悲劇。残念で仕方ありません。

実はらく朝は私の弟子でありながら命の恩人でもありました。私の体調が悪いのを見抜き、嫌がる私を検査して私がバセドー病である事を発見したのです。

放っておいたら3年くらいで私は心筋梗塞で倒れていたはずとのこと。また彼の妻がバセドー病の専門医。だから私はらく朝に言いました。「お前は俺の命を救うために弟子になったんだなあ」。

らく朝の訃報は本当に残念です。でも落語家になるというのは来世の楽しみのはずが、今生でその夢をかなえることが出来たので素晴らしい人生だったと思っています。「おい、らく朝、来世では名人になるんだぞ!」