日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」のリーダーとして、国内ジャズの礎を築いたテナーサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫)さんが肺炎のため21日に亡くなった。94歳だった。

原さんは戦時中に海軍での音楽経験を経て、51年に同バンドを結成。2010年にバンド活動を終了(その後に復活公演)するまで、半世紀にわたり日本のジャズシーンをけん引した。ナット・キング・コール、ダイアナ・ロス、ポール・アンカ、サミー・デイヴィスJr.ら世界中のアーティストとも共演。美空ひばりさんの67年の大ヒット曲「真赤な太陽」を作曲し、美空さん、江利チエミさんのバックバンドとしても活躍した。

また若いアマチュア音楽家への支援団体を設立し、音楽教育にも心血を注いだ。活躍が認められ、88年に「紫綬褒章」、98年には勲4等旭日小綬章を贈られている。

09年には「ジャズは人生そのもので、私にとっては神さま。結成以来、一番よい音をしている今このときに、このビッグバンドという形式から離れようと思う」とコメントしていた。