東京オリンピック・パラリンピック2020がやって来た。感動を増幅させるのが音楽である。特にNHKのオリンピック放送のテーマソングからは多くのヒット曲が生まれた。夏季ではアテネ大会(ギリシャ、04年)の「栄光の架橋」(ゆず)、ロンドン大会(イギリス、12年)の「風が吹いている」(いきものがかり)。そしてリオデジャネイロ大会(ブラジル、16年)の「Hero」(安室奈美恵さん)がその代表格。4年に1度の感動とともに、人々の記憶に刻まれた名曲を振り返る。

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NHKのオリンピック放送のテーマソングは、88年のソウル大会(韓国)で浜田麻里の「Heart And Soul」が起用されたのが最初。以後、冬夏のオリンピックそれぞれで、テーマソングが使用されてきた。アーティストを選ぶ基準は「選手への共感や感動をストレートな歌詞とメロディーで表現でき、世代を超えて支持されるアーティスト」である。

04年アテネ大会の「栄光の架橋」(ゆず)は、まさに世代を超えて支持されるアーティストによる、世代を超えて支持されるテーマソングとなった。

<歌詞>いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある だからもう迷わずに進めばいい 栄光の架け橋へと… 作詞・作曲の北川悠仁はオファーを受けてから約2カ月、プレッシャーで何も書けなかった。「選手の気持ちは僕になんか分かりっこないので、そこを全部取っ払っちゃいました。自分が歩いてきた道を書こうと思ったんです」。

96年に結成されたゆずの活動拠点は、横浜・伊勢佐木町の松坂屋前の路上だった。誰も相手にしてくれず、酔っぱらいにからまれる日々を経験して、東京ドームを満杯にするデュオとなった。北川はその過程を詞に込めた。歌が出来上がった時、岩沢厚治は「自分にも遠くない曲だな」と思った。北川は「生きていく中で負けること、悔しかったことはだれにでもある。主婦だって、サラリーマンだってそうじゃないですか。でもその中で『頑張ってきて良かった』という瞬間もあるはずですから。そういう気持ちでつくった歌」と話した。

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体操男子団体で日本の28年ぶりの金メダルを確定させた鉄棒演技で、NHK刈屋富士雄アナウンサーが「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」と名実況した。「栄光の架橋」はその後もロングヒットし、発表から13年後の第68回NHK紅白歌合戦(17年)で大トリ曲となった。

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「栄光の架橋」の前に、紅白でトリとなったテーマソングがある。12年のロンドン大会で、いきものがかりが歌った「風が吹いている」である。その年の第63回NHK紅白歌合戦で紅組トリとなった。

<歌詞>風が吹いている 僕はここで生きて行く 晴れわたる空に 誰かが叫んだ ここに明日はある ここに希望はある

ロンドン大会で日本は7つの金を含め史上最高の38個のメダルを獲得した。前回の中国・北京大会(08年)の25個を大きく上回り、日本中が沸いた。「風が吹いている」は12年を象徴する1曲となった。

オリンピックのテーマソングではあるが、深い意味が込められた。前年の11年3月11日、東日本大震災が発生。原発事故が起きた。絶望がまだまだ続く中で、オリンピックがやってきた。7分44秒という大作には「それでも違う風は吹く。我々は希望を持って、ここで明日を生きて行かなければ」というメッセージが聞こえてくる。

水野は、2度目の東京大会が開催予定だった20年元日の日刊スポーツに「これはあなたの物語だ 2020年、東京」という詩を寄稿した。伝えたかったことをこう語った。「オリンピック開催が決まって、どうしても私たちは『1964年の夢をもう1度』と後ろをふり返りがちになります。でも一番大事なのは今を生きている人たち1人1人が大会を通じて何を感じ、どう生きていくかを考えること。それが結果的に新しい時代だったり、文化といったものをつくっていくのだと思います」。

いきものがかりは今年、3人体制から2人体制(水野、吉岡聖恵)となった。それでも「風が吹いている」はいつまで人々に問い掛け続けるだろう。「これはあなたの物語だ」と。

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安室奈美恵さんが歌ったリオデジャネイロ大会の「Hero」は、民放も含めた数あるオリンピックのテーマソングの中で、珠玉の1曲である。

<歌詞>君だけのためのhero どんな日もそばにいるよ oh… I,ll be your hero

テーマソングのアーティストに選ばれた際、安室さんは選手に向け「皆さんの戦う姿は、いつも沢山の人に夢や希望、感動、勇気を与えてくださいます。皆さんが『リオで輝くために!』私達はいつも応援しています。アスリートの皆さん。是非、リオで輝いてください」というコメントを出した。その言葉通り、この曲が選手の活躍を輝かせ、応援する日本国民の心を熱くした。

安室さん自身も間違いなく「Heroine(ヒロイン)」だった。この曲は安室ファンに向けたメッセージにも聞こえた。

日刊スポーツが安室さんを初めて大きく取り上げたのは95年4月3日付の芸能面だった。安室奈美恵with SUPER MONKEY,Sとして都内でライブを行い、大ヒット曲「TRY ME~私を信じて」を熱唱した。その写真を芸能面の上から下まで使って掲載した。そんな大きさでの写真掲載は初めてだった。当時、安室さんは17歳。すでに「Heroine」だった。

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リオ大会から2年後の18年9月16日、安室さんは電撃的に引退した。その前年の第68回紅白で、特別出演歌手として「Hero」を歌ったのが、紅白での最後の歌唱となった。

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だが「君だけのためのHeroine」は、これからも、どんな日もそばにいてくれるはずだ。「Hero」の歌詞で「どこまでも すべて君のために走る 永遠に 輝くあの星のように」と誓ってくれているのだから。

オリンピックのテーマソングには、アーティストそれぞれの思いも込められている。4年に1度、心に刻み込まれる歌である。【笹森文彦】