「おやじの海」で知られる歌手村木賢吉さんが6月19日に、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。88歳だった。葬儀・告別式が近親者で行われた。

秋田県鹿角市で生まれた。三菱鉱業(現・三菱マテリアル)が経営し、金や銅などを採掘する同市内の尾去沢鉱山で働いた。鉱山の合理化のため、30代で香川県の三菱マテリアル直島製錬所に転勤し、同僚の佐藤達雄さんと出会った。民謡好きの村木さんと、ギター好きの佐藤さんはすぐに意気投合。佐藤さんの作詞、作曲で村木さんが歌う「おやじの海」が誕生した。漁師で一家を支えた父親の生きざまや苦労を海に例えて歌った。72年に、自ら資金を出してレコード会社に制作を依頼する自主制作(インディーズ)で、500枚のレコードをプレスした。

2人ともサラリーマンで、瀬戸内海にある直島から各地へキャンペーンには行けない。有線放送局などにレコードを送るのが“営業”だった。

村木さんは73年に静岡・御殿場市に転勤となり、すっかり「おやじの海」のことは忘れていた。ところが77年に漁業が盛んな北海道・釧路市の有線放送から火がついた。79年に東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)から47歳でデビューした。自主制作から7年。初回プレス500枚が、150万枚に迫る大ヒットとなった。NHK紅白歌合戦の出場はならなかったが、「魅せられて」(ジュディ・オング)が大賞を獲得した同年の日本レコード大賞で企画賞を受賞。会社を辞め、歌手として活動した。晩年は民謡教室で指導した。

村木さんのように、自主制作からビッグヒットした例は数多い。オリコンによる日本の歴代シングル売り上げ枚数で、第2位の「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)がその代表である。ちなみに第1位は「およげ!たいやきくん」(子門真人)。

同トリオは、楽器を演奏しながら流行歌を替え歌にする漫才で活動していた。その結成10年を記念して71年に自主制作したのが「女のみち」で、初回プレスは300枚だった。

「ぴんからトリオ」の由来は「ピンからトリを」。出番が1番目の前座のような芸人から、最後のトリを飾る芸人になるという決意が込められていた。宮さんが作詞した3番の歌詞に「きっとつかむわ 幸せを」とある。自分たちの心情だったが、営業先のキャバレーで自主制作盤を配ったホステスさんの心をつかんだ。口コミで広がった。人気番組だったTBS系「8時だヨ!全員集合」で、加藤茶がコントの中で同曲を歌ったことも大きかった。

初回300枚の「女のみち」は、325万枚を売り上げた。「およげ!たいやきくん」の457万枚には及ばないが、演歌史上最高の枚数である。73年の紅白に初出場し「ピンからトリを」を成し遂げた。SMAPの「世界に一つだけの花」は解散後、売り上げを再び伸ばしたが、313万枚で歴代3位。国民的アイドルでも「女のみち」には届いていない。

このほか、竜鉄也さんの「奥飛騨慕情」も自主制作で、72年の初回プレスは2000枚。9年後の81年にメジャー発売されると、150万枚のヒットとなり、同年の紅白に初出場した。大泉逸郎の「孫」も94年の自主制作は700枚。5年後の99年にテイチクから発売されると、ジワジワと売れ続け230万枚を突破。00年の紅白に初出場した。

自主制作で頑張っている“歌手”はたくさんいる。歴史を塗り替える大ヒット曲が、日の目を見るのを待っている。【笹森文彦】