郷ひろみ、山口百恵、松田聖子などを育てた、音楽プロデューサーの酒井政利氏が16日午後7時すぎ、心不全で都内の病院で亡くなっていたことが19日、分かった。85歳だった。

社長を務めていた酒井プロデュースオフィスでは「葬儀、お別れ会は生前の本人の希望で一切行わないことになっています」と説明している。

酒井氏は5月の20日過ぎに持病のアレルギー疾患のために検査入院。疾患は改善したが、体力を消耗したために回復のために入院していた。順調にすごしてきたが、16日に病状が急変して亡くなったという。同オフィスでは「検査入院の前までは普通にお酒も飲んで、元気にすごしていました。亡くなった当日に急に容体が悪化したと病院から説明を受けました」と説明した。

昨年に東京五輪が行われていれば、終了後に引退宣言をすると決めていたなどという趣旨の話が一部で報じられたが、同オフィスでは「本の出版やプロデュースのお話をいくつかいただいていて、(五輪後もそれらの仕事を)やる予定でした。本人が『これからは、のんびりと、やりたい仕事だけやっていこうと思う』と話していたのが、そう伝わったのでは」と話している。

酒井氏は和歌山県生まれ。立教大卒業後に松竹をへて、1961年(昭36)に日本コロムビアに入社。プロデューサーとして島倉千代子、こまどり姉妹などを担当。64年には青山和子「愛と死を見つめて」で日本レコード大賞を受賞している。

68年にCBSソニー(現ソニーレコード)発足とともに移籍。フォーリーブス、南沙織、天地真理、浅田美代子、キャンディーズ、矢沢永吉、宮沢りえなどのプロデュースを手掛けてスターに育てた。78年には山口百恵「いい日旅立ち」などをプロデュース。79年にはジュディ・オングの「魅せられて」で2回目の日本レコード大賞を受賞した。81年には郷ひろみ「お嫁サンバ」をプロデュースするなど、酒井さんの公式サイトによると、売り上げ累計は約8700億円にのぼるという。 96年に酒井プロデュースオフィスを設立。音楽プロデューサーとして活動するとともに、ワイドショーなどにコメンテーターとして出演した。05年に文化庁長官表彰、昨年は文化功労者として顕彰された。

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◆酒井政利(さかい・まさとし)1935年(昭10)11月17日、和歌山県生まれ。58年立教大文学部卒業。61年日本コロムビア入社。68年CBS・ソニー入社。ジュディ・オング「魅せられて」、山口百恵「ひと夏の経験」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」、キャンディーズ「微笑がえし」など数々のヒット曲を手掛け、音楽プロデューサーとして活躍。プロデュースした曲の売り上げは累計約8700億円ともされ、96年に自身の事務所を設立。テレビ番組でもコメンテーターを務めた。05年に音楽業界初の文化庁長官表彰受賞。20年11月、文化功労者に選ばれた。