東京オリンピック(五輪)が開幕し、競技が本格的に始まった24日、1本の映画が公開された。初日のこの日、封切られたのは座席数84席の東京・新宿K'sシネマ1館だけ…本当に小さな映画だが、実に力がある。その映画のタイトルは「かば」。1985年(昭60)の大阪市西成区の公立中学校を舞台に、被差別部落出身、在日韓国人などという出自などで差別を受けたり、家庭の厳しい事情に傷つき、思い悩みながらも日々を生きる生徒と真正面から向き合う1人の男性教師を描く。

男性教師は、登校しない生徒の自宅に突撃してゲームに興じる生徒を一喝し、シンナーを吸っている生徒には頭から水をかけて目を覚まさせる。転校早々、嫌がらせを吹っかけてきたクラスメートとケンカして学校に来なくなった在日韓国人の生徒の家を訪問し、怒った親や親戚縁者につまみ出されても繰り返し足を運び、大阪で一番、うまいというマッコリを持参し飲んで腹を割る。並行して大卒上がりの臨時講師の悩みも聞き、育て、生徒への接し方をめぐり職員室で同僚の教師とつかみ合いまでする。

「かば」を見ていて、自分が中学生だった頃の記憶と映画に描かれた教師と生徒との関係性に通じるものがあった。懐かしさを覚え、とにかく教師も生徒も熱い物語に胸を打たれた。記者は中学、高校の教員免許を取得しており、記者になってからも教育にまつわる問題には常に関心を持ち、学校で発生した事件も幾つか取材してきた。16年に選挙年齢が18歳に引き下げられた際も、教育関係者や当事者となる高校生が学ぶ高校にも足を運んだ。

教師や校長、教頭らに話を聞く中で、記者の学生時代や教員免許を取得した時代とは教育現場…特に教師と生徒、教師や学校と家庭との関わり方、向き合い方が、ずいぶん変わったものだと感じずにはいられなかった。ある教師は「生徒を呼び捨てで呼ぶことはNGで『さん』づけで呼んでいます」と語った。別の教師も「少し、強く叱ったりすると親が学校に来て『訴える』などと言われることもある」と、親や家庭を含めた生徒との関わり方が難しい現状を吐露した。

「かば」で中学生の裕子を演じたさくら若菜(16)も、24日の初日舞台あいさつで「想像できない時代は面白いなと。(脚本の中には)今では考えられないようなことも多かった」と語った。裕子を演じた時は中学3年で、現在は高校2年生のさくらの言葉からも、今の教育現場と「かば」で描かれた世界が懸け離れた面はあるのは事実だろう。

ただ、そうであっても「かば」には一見の価値はある。SNSの普及や新型コロナウイルスの感染拡大などで、人と人が真正面から向き合う機会が減っていく一方の昨今にはない、人が人のことを思う血肉の通った、人間関係が描かれているからだ。

「かば」は、85年に被差別部落が隣接する大阪・西成区北部の公立中学校・鶴見橋中で教師を務めた蒲益男(かば・ますお)さんの存在を知った川本貴弘監督が取材し、自身の過去、経験などを織り交ぜて作り上げた。同監督は、どこにでもいる普通の教師ながら、出自や偏見など問題を抱える生徒と家族に真正面からぶつかり、10年5月に58歳で亡くなった際は葬儀に教え子だけでなく世代や職業を問わず300人を超える人々が参列したという、蒲さんの教師としての原点である中学校に足を運び、14年から取材を始めた。

川本監督は初日舞台あいさつで「先生には会ったことはないんです。西成で働いた先生方の情熱、子どもたちと向き合う優しさにほれ、熱さで映画にしたかった」と振り返った。蒲さんと80年代をともに過ごした同僚教師と卒業生らを2年半にわたって取材し、脚本は「全部、実話で、せりふ1つ、1つも僕の想像ではなく、当時の先生方、生徒さんから聞いた話を入れています」という。

製作資金は、自身の周辺だけでなく、取材した蒲さんの同僚の教師にも「先生、退職金を出さないと映画はなしよ」と言って、出させたという。17年には企画の周知のため、パイロット版を作って映画製作への理解を訴え続けた結果、2万人超の人々から完成を望む声が寄せられたという。クラウドファンディング含め、あらゆる限りを尽くして資金を集め、企画から7年で完成、劇場公開にこぎ着けた。川本監督は製作総指揮、プロデュース、原作、脚本、監督を務めており「完全自主製作で行っています」と語った。

8月に入ると東京、神奈川、大阪、京都と各1館での上映が始まるが、公開時点で決まっている上映館は、ミニシアターばかり。製作費の回収を考えるならDVD、ブルーレイなどのパッケージ化や、配信といった2次利用で収益を上げるのが一般的だが、川本監督は「この映画はDVD、ブルーレイには当分、いたしませんし、ネット配信もする気は今のところない。劇場のないところも10年くらいかけて回ろうと思います」と語った。

7年かけて作った映画を、10年かけて全国を回って伝え続ける。新作を作るのではなく、作り上げた1本を広げることに、ここまでこだわる監督、そうはいないだろう。映画に造詣が深いことで知られ、大作映画の舞台あいさつ、イベントでの司会も多い笠井信輔アナウンサーが、自ら志願して24日の初日舞台あいさつの司会を務めたのも、作品に心酔した故だろう。コロナ禍で人々の心が疲れ、すさみ、開幕しても東京五輪開催の是非が問われている今こそ、見るべき1本だ。【村上幸将】