フリーアナウンサー古舘伊知郎(66)が、16日に単行本「MC論」(ワニブックス)を出版する。

テレビの司会として1960年代から活躍した故大橋巨泉氏をはじめ、タモリ、たけし、さんまの「ビッグ3」、とんねるず、ダウンタウン、中居正広、みのもんた、関口宏、小倉智昭、黒柳徹子、安住紳一郎、羽鳥慎一、村上信五などを取り上げ、その手法、影響力などを分析した“交友録”でもある。

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僕は、単純に昭和、平成、令和という時系列で書きたいと思ったんです。ちょっと順不同になってますけどね。僕の中の勝手だけど、テレビは世の中を映し出す窓であると。テレビという窓の変遷は、社会の変遷そのものであると思っています。

でも、ビジュアル先行の見てくれやたたずまいの情報で、人を理解しようと努力して誤解したりすることがある。外見の方に目がいっている。その人と実際に会ってとかじゃない時には、結構自由になれる。フリースタイルのラップバトルみたいな、そういう本です。司会者大集合だから、大きいテーブルの上に、素材である皆さんを乗っけているんですけどね。その一方で、俺なんかは気が散っちゃったり、器がちっちゃいところとかあるから、なかなか全員集合にはならないんですよ。

基本的に司会者っていうのは場を盛り上げるんだから。その会を司(つかさど)るわけですから。これは進行とは、またちょっと違う。全体を司るなんていう時には変な期待は本来はなくて当然。でも、司会の概念、捉え方が変わってきた。ついこの間、平成の途中ぐらいまでは、司会者というのは基本的に悪態をつきまくるとかいうことができずにいんです。司会というと式進行っていう時代が長く続いたから、パブリックコメントばっかりの時代が続いた。ところが途中から、平成の後期ぐらいから今に至るまで、ネットに限らずテレビに限らず、司会っていう言葉も死語になりつつあると思います。

司会の代わりにMC。マスターオブセレモニーっていう外来語を当て込んだ。例えば、アメリカに行って「ニュースキャスター」なんて言っても、全然通じない。“転がす車輪”のことを言ってんのかって思われる。それと同じで、僕はアメリカでいうマスターオブセレモニーとも違って、ちょっとずれてると思うんですよ、司会者って。マスターオブセレモニーって、その場の中心で転がしていく人をうまく表現して当て込んだなと思ってます。

司会者っていうのは、もうワシントン条約かと思うほどの絶滅危惧種。この本に僕は、にじませてるつもりでいるんですけど。テレビの黎明(れいめい)期から、テレビが電気紙芝居って言われて登場した時代の司会って、進行も兼ねていた。だから立ったまま、1人の時代があった。2人の場合もあったし、テレビタレントと称される人がやっていた場合もある。でも、純然たる司会者っていうと、立ちでも座りでもいいですけど1人というのが、ずっと続くんです。それは司会って、会を司るから。全体を盛り上げて番組っていうコンテンツを視聴者に届けていくんです。全責任を背負い、そして同時に「司会進行は私、古舘が務めます」っていう司会であり、一方では進行だからふざけたことは言いませんよって。(続く)

古舘伊知郎、前向くために過去に後ずさり 昭和からTVの流れ語る/連載1

◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。09~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「日本人のおなまえ」(木曜午後7時57分)司会など。YouTube「古舘Ch」。14日の徳用・渋谷区文化総合センター大和田古さくらホールから初の全国ツアー「古舘伊知郎トーキングブルース2021」がスタート。血液型AB。