1971年(昭46)のテレビ朝日系ドラマ「続・氷点」などで知られる、女優の島田陽子さんが25日、大腸がんによる多臓器不全のため、都内の病院で急逝した。69歳だった。

70年代に清純派としてブレークすると、海外進出も果たし日本を代表する「国際女優」に成長。一方で、歌手内田裕也さんとの不倫愛で世間を騒がせ、92年にはヘアヌード写真集、11年のセクシー女優デビューも話題を呼んだ。近年は映画製作に意欲を傾け、亡くなる間際まで、原作探しに取り組んでいた。葬儀は近日中に、近親者のみで執り行い「しのぶ会」などは、後日開催する予定だという。

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島田さんの波瀾(はらん)万丈の、人生の幕が突然、降りた。3年ほど前から大腸がんを患い、近い関係者のみに闘病を明かしていた。入退院を繰り返したが、今月に入って体調を崩し都内の病院に検査入院していた。体調は好転し、退院しようとしていた21日夜、大量の下血により血圧が低下し、週末には呼吸や会話、食事がしにくくなった。25日午前11時に危篤に陥り、同午後0時57分、病院関係者にみとられて亡くなった。近しい関係者は「午後、お見舞いに行く予定だったのに危篤だと連絡が来て…間に合わなかった」と信じられない様子だった。

関係者によると入退院の間には都内のラウンジに通い、大好きだったラムソーダをたしなんでいたという。「役者として役に入れなくなるから」と、抗がん剤治療や手術を断っていた。21日午後3時まで元気な様子で「大好きなハンバーグが食べたい。黒ビールが飲みたい」など、陽気な会話もしていたという。

島田さんは3歳からクラシックバレエを習い、故郷・熊本から8歳で東京に移り住み、13歳の時に劇団若草に入団。1970年(昭45)にテレビ東京系ドラマ「おさな妻」でデビューした。1万人を超えるオーディションで選ばれた71年の「続・氷点」で辻口陽子を演じ、最終回の視聴率は42・7%に達して注目された。74年の日本テレビ系ドラマ「われら青春!」ではヒロインの教師を演じ、一躍、国民を代表する清純派となった。一方で、同年の映画「砂の器」では、天才ピアニストの愛人を演じるなど、早くから演技の幅を広げていった。

80年には、米NBCのドラマ「将軍 SHOGUN」に出演。米アカデミー賞の前哨戦の1つ、ゴールデングローブ賞テレビシリーズのドラマ部門で女優賞を受賞。翌81年には米国のグエン・アーナー監督の映画「リトルチャンピオン」に出演し、国際派女優へと飛躍した。

女優として円熟味を増した80年代半ば以降は、女優業よりスキャンダルの話題で芸能界を騒がせた。88年に同年の「花園の迷宮」で共演した内田裕也さんとの不倫が報じられた。裕也さんは81年に、妻の樹木希林さんに無断で離婚届を提出も、樹木さんが離婚無効の訴訟を起こし勝訴。結婚はかなわぬ中、裕也さんとの関係を続けたことで「魔性の女」と呼ばれた。膨大な借金を背負ったとも報じられた中、39歳だった92年に発売したヘアヌード写真集は55万部のベストセラーとなった。

94年にはテレビの制作関係者と結婚も、11年にはセクシー女優デビュー。19年に離婚してからは独身だったという。昨年12月には、代表作の1つとなった76年の映画「犬神家の一族」のイベントに登壇。ロビーに飾られた若かりし日の写真をスマホで撮るなど、元気な様子を見せていた。

近年は映画製作に意欲を見せていた。映画宣伝から還暦を過ぎて作家に挑戦した、篠友子さん(61)の小説「うえから京都」はタイトルを見て「読ませて」と依頼し、製本前のゲラを取り寄せて熟読。「読みやすいから台本にして。最初に読ませてね」とリクエストし、篠さんが脚本を書いていた。出版翌日の16日、都内で行われた出版記念パーティーに出席を希望も、入院したため見送っていた。

女優として演じ、女として奔放に人生を演じた島田さん…最後の夢の映画作りは突然、ついえた。

◆島田陽子(しまだ・ようこ) 1953年(昭28)5月17日、熊本市生まれ。駒沢学園女子高卒業。70年のテレビ東京系ドラマ「おさな妻」でデビュー。71年に特撮ドラマ「仮面ライダー」。NHK大河ドラマには78年「黄金の日日」84年「山河燃ゆ」に出演。74年の「砂の器」(野村芳太郎監督)76年「犬神家の一族」(市川崑監督)など、日本映画史に残る映画にも多数、出演。98年に「島田楊子」に改名も、元に戻した。プロ野球中日のファンとしても知られる。

○…島田さんは近年は、キューバの革命家チェ・ゲバラのドキュメンタリー映画製作に意欲を見せていた。ロシアのウクライナ侵攻が続く中「人を殺すロシアとは違う革命をした人間ゲバラを伝えたい」と語っていたという。監督とは6月に打ち合わせをし、亡くなった25日ごろにも、撮影に入る予定だったという。