音楽の殿堂だった東京・中野サンプラザが7月2日に、地域の再開発で閉館する。同ホールをこよなく愛した山下達郎が同日、ラストコンサートを行う。

1973年(昭48)6月1日に、「全国勤労青少年会館」として開館して50年。「SUN=太陽」「PLAZA=広場」の愛称で親しまれた。太陽のようにエネルギーに満ちあふれた若者が集う場に、との願いが込められた。白亜の三角形ビルもユニークで、サブカルチャーの町・中野のランドマーク的存在だった。

ホールの収容人数は2222人。集客で大型アリーナには手の届かないアーティストにもやさしかった。アイドルや声優の聖地ともなった。

中野サンプラザの閉館で、東京の中規模ホールがまた1つ減ることになる。収容人数2000人前後のホールは、老朽化や町の再開発などで姿を消している。音楽を中心とした文化の発展に、少なからず影を落としている。

演歌の殿堂として愛された新宿コマ劇場(収容2088人)は、08年12月31日に52年の歴史に幕を閉じた。最後のイベントは同日に行われた「第41回年忘れにっぽんの歌」で、トリを務めた八代亜紀の「舟唄」が最後の歌唱となった。跡地には高層ビルが建設されたが、劇場は収益性が低いとしてなくなった。

東京厚生年金会館(収容2062人)は10年3月29日に約49年で閉館した。同日のラスト公演は松山千春。同会館を愛したさだまさしは、その前日に公演を行い「ホールは文化財だ」と怒った。跡地はマンションなどが建設された。

五反田ゆうぽうと(収容1803人)は、82年4月に東京簡易保険会館として開館。郵政民営化の経営方針転換などで、15年9月30日に約33年で閉館した。ラスト公演は、平尾昌晃さん、ミッキー・カーチスらのウエスタンカーニバルだった。公演後、平尾さんは「お客さんも悲しそうな顔だった」と感慨深げに話した。跡地には大規模複合施設が建設されている。

メルパルク東京(収容1582人)は、東京郵便貯金会館として71年7月に開館した。郵政民営化などを経て、22年9月30日に約51年で閉館した。78年8月に始まった日本テレビ系「24時間テレビ」のオープニングが同ホールで行われた。現在、再開発に向けた解体工事が行われている。

青山劇場(収容1200人)は85年11月、厚労省が児童の健全な育成を目的に建設した「こどもの城」にオープンした。少年隊のミュージカル「PLAYZONE」や中島みゆきの「夜会」などが上演された。老朽化で15年1月に約30年で閉館。改修される予定だったが、諸事情で改修は断念された。今後の活用法を模索している。

このほか、渋谷のSHIBUYA-AX(収容1697人)が14年に、首都圏では横浜BLITZ(収容1700人)も閉鎖されている。主に官営だったホールの閉鎖が相次いだ。

もちろん、新たなホールも完成している。中野サンプラザも「NAKANOサンプラザ」として生まれ変わる予定だ。ただ収容人数は最大7000人規模といわれる。集客力のない若いアーティストは、なかなか立てそうにない。若者が集う「太陽の広場」であり続けてほしいのだが。【笹森文彦】