「白いブランコ」「さよならをするために」などのヒット曲で知られる兄弟デュオ「ビリー・バンバン」の兄・菅原孝(すがわら・たかし)さんが11日午後4時34分、肺炎のため都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。葬儀は19日に近親者で行った。
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ビリー・バンバンのお兄ちゃん、菅原孝さんが亡くなった。第一報を受けた時に感じたのは残念な思い。そして、これでゆっくりできますねという思いだ。
現在、64歳の記者にとって、1969年(昭44)1月、小学1年生の時に「白いブランコ」でデビューしたビリバンは、初めてのフォークソングだった。後の反権力、反戦、テレビに出ないことを掲げた荒々しいフォークと違い、慶応と青学の洗練された“カレッジフォーク”。あっという間にブームがしぼんだグループサウンズから、抵抗なく入っていけた。
76年(昭51)にビリー・バンバンを解散して、孝さんはTBS系「11時に歌いましょう」の司会を務めた。歌のイメージと違った、よくしゃべる姿は斬新だった。後に同世代のミュージシャンを取材した時に「ビリー・バンバンの孝さんは慶大に通っていたから、スタジオで勉強したり、難しい本を読んでいた」と言われた。豊富な知識を駆使して、出演者から新しい一面を引き出す司会者だった。
84年にビリー・バンバンを再結成して兄弟での二人三脚が再び始まった。孝さんは14年(平26)7月に脳出血で左半身にまひが残った。必死のリハビリで翌15年5月にラジオで復帰を果たしたが、その時に弟の進さんが大腸がんで手術を受けていたことが明らかになって驚かされた。
19年4月にタレント山田雅人の公演「語りと歌でつづるビリーバンバン物語」にゲスト出演した時に話をじっくりと聞いた。若い頃は冗舌な兄の孝、おとなしい弟の進というイメージが強かったが、解散、再結成、そして互いの病気を乗り越えて、70代になった兄弟がお互いを支え合う姿に勇気をもらった。
孝さんは言葉こそ達者なままだったが、自身の左太ももをたたきながら「こっちが言うことを聞かないんだよ。もどかしい、悔しいな」と話していた。
そして、最後に話を聞いたのは22年(令4)の2月。翌月に公開されるアニメ映画「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」の挿入歌に新曲「ココロありがとう」が使われた時だ。兄弟2人で話を聞いたのだが、「ドラえもん」の小学館「小学一年生」などでの連載開始が、ビリー・バンバンが「白いブランコ」でデビューした69年と聞くと、孝さんは「すごいよね、藤子不二雄先生は。今から50年以上も前に猫型ロボットっていう発想。ドラえもんは2112年製造で未来から来た設定だから、あと90年もある。そこを目指して頑張るよ」と笑っていた。その言葉に勇気をもらった。
目標には87年も早かったけど、最後まで病気と闘い、音楽を追求した人生だった。デビューから亡くなるまで、その音楽、そして生きざまを見せてもらいました。ありがとうございます。今はゆっくりと休んでください。【小谷野俊哉】



