<92年4月26日付紙面から>

 若者にカリスマ的人気を持つロック歌手の尾崎豊(おざき・ゆたか=本名同じ)さんが25日正午過ぎ、収容先の東京・千駄木の日本医大病院で急死した。26歳の若さだった。尾崎さんは早朝、都内足立区の自宅近くの他人の家の軒先で酒に酔って全裸で座り込み、駆けつけた救急車でいったん近くの病院に収容されたが、その後帰宅したあと容体が急変した。死因は不明だが、血中のアルコール濃度が異常に高かった。通夜、葬儀の日取りは未定。

 尾崎さんは午前5時10分ごろ、自宅から500メートルほどの足立区千住河原町の他人の家の軒先で酒に酔って座り込んでいるのを、近くの住民が見つけ110番した。千住署員が駆けつけたとき、尾崎さんは脱ぎ捨てたスーツなどの衣類や持っていたセカンドバッグをほうり投げ、全裸で意識ももうろうとしていた。泥酔状態だったが、署員が「救急車を呼ぶよ」と告げると、「いらない」と答えた。

 第一発見者の女性によると、全裸のまま体操したり地面に体を押しつける奇行に加え、そばには所持していた一万円札約100枚が散乱していた。

 5時45分、救急車で墨田区東向島の白鬚(しらひげ)橋病院に収容された。診察に当たった医師は「生命にかかわることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と判断したが、連絡を受けて駆けつけた尾崎さんの妻繁美さん(23)と近くに住む義理の母親が「前にも同じような状態になったが、その時もうちに帰って寝たら何もなかった」と主張。病院や警察の説得を振り切り、7時過ぎに自宅に連れ帰った。尾崎さんは名前も言え、歩ける状態だった。

 自宅に戻り寝床に入った尾崎さんは、11時ごろになり様子がおかしくなり、繁美さんからの119番通報で救急車が自宅に急行したが、すでに心肺停止状態だった。千駄木の日本医大病院の救命センターに収容されたが、午後0時6分に息を引き取った。死因は不明だが、血中のアルコール濃度が異常に高かった。5年前、覚せい剤所持の疑いで逮捕、懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けた前歴があるが、覚せい剤の使用や所持はなかった。

 千住署の調べに繁美さんが話したところによると、尾崎さんは前日(24日)午後10時ごろから高校時代の友人らが開いたパーティーに出席し帰宅途中だった。また酔うとしばしば全裸になることがあったそうで、路上に座り込んでいたためか、遺体には全身にかすり傷があった。変死扱いとなり検視のため遺体は午後4時10分、千住署に移され、今日26日に解剖して詳しく死因を調べる。

 北千住駅から歩いて5分の同署は夜遅くまで詰め掛けた取材陣や、見守る近所の住民でごった返した。喪服姿で花束を手にした「ファン」と名乗る中年女性が、遺体が安置された霊安室まで入ろうとして署員に制止される騒ぎも。病院からずっと遺体に付き添っていた繁美さんも夕方6時半、マスコミの目を逃れて署をあとにした。

 尾崎さんはデビュー9年。「卒業」などのヒット曲で知られ、高校生や中学生を中心に若者の代弁者として共感を集めた。覚せい剤所持で有罪判決を受けた直後の1988年(昭63)5月、ファンの一人だった繁美さんと結婚、1男(3)がいる。が、昨年、女優の斉藤由貴(25)との親密交際が発覚したことで別居状態となり、その後元のサヤに収まる形で繁美さんの実家近くに移り住んでいた。