70年代を代表するアイドルグループ、フォーリーブスでター坊の愛称で親しまれた青山孝史(あおやま・たかし)さん(本名・城下孝行=しろした・たかゆき)が28日、肝臓がんのため亡くなった。57歳だった。02年に24年ぶりに再結成。昨年4月からの全国ツアーは、公演の時だけ病院を抜け出して参加するなど、闘病生活を続けていた。28日午前2時ごろに体調が悪化し、同午前7時ごろ息を引き取った。3人になってしまったフォーリーブスのメンバー、江木俊夫(56)おりも政夫(55)北公次(60)が涙をこらえ会見した。

 父としての約束は果たせなかった。青山さんは今月19日、小学4年生の娘の誕生日に合わせて一時帰宅。すしパーティーを開いた。「元気になったら、パパと一緒にハワイへ行こう」。幼い娘への思いを胸に、つらい闘病生活に耐えていたが、この日未明に体調が悪化。午前4時半ごろに吐血した後、57年の短い人生を終えた。妻めぐみさんと娘に見守られながら、息を引き取った。遺体はこの日昼すぎに都内の自宅マンションに戻った。

 78年8月にフォーリーブスを解散した後、青山さんと同僚のおりも政夫(55)の2人で音楽学校を開くなど、メンバー4人はそれぞれビジネスを営んでいた。ファンからの強い要望もあり、01年に再結成を決定。02年1月から全国ツアーを始めた。この時、芸名を「孝」から「孝史」に改名した青山さんは「またやろうよ」と積極的に再結成を働き掛けていたこともあり、メンバーに抱きついて喜んでいたという。

 ウイスキーなど酒好きで知られ、体の不調を訴えた昨年10月下旬に肝臓がんが発覚。そのまま入院し、抗がん剤治療を続けていた。周囲に弱音を吐かず「フォーリーブスは4人でしかあり得ない」と公演の時だけ病院を抜け出し、ソロパートの時だけ登場。メンバーにがんであることを伝え、ファンには「体調を壊したので」と説明した。この日昼に青山さんの自宅を訪れたおりもは「楽屋で『オレは死んでも歌いたい』と話していた。歌に命をかけていた」と振り返った。同僚の北公次(60)と江木俊夫(56)は、この日午前に病院で青山さんと対面。遺体に触れ、泣きながら別れを惜しんだ。

 青山さんがファンに最後の歌声を披露したのは、今月10日の東京・西新井でのコンサートだった。開催中の全国ツアーは残り3カ所。2月21日に千葉・松戸、3月6日に大阪、同29日に東京厚生年金会館で行われる。曲順や構成、企画を変えるなどして、3人でツアーを予定通り続けるという。残されたメンバーはこの日夕方、都内のTBSで会見。江木は涙目で「残されたコンサートを一生懸命やります。頼むよ、天国から歌ってくれよ」と青山さんに訴えた。

 フォーリーブスは67年に結成。「地球はひとつ」「踊り子」などがヒットし、NHK紅白歌合戦には70年から7回連続で出場した。青山さんは伸びのある明るい歌声でリードボーカルを務め、「ター坊」の愛称で親しまれた。人懐っこい笑顔は、永遠にファンの心から消えることはない。

 [2009年1月29日8時12分

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