<第60回NHK紅白歌合戦を語る(10)=森進一>

 68年(第19回)に「花と蝶」で初出場して以来、42回の連続出場を更新中なのが森進一(62)だ。98年(第49回)に31回連続出場でトップに躍り出て、今ではすっかり「紅白の顔」として定着している。

 そんなベテランの初の大トリが74年(第25回)だった。この日のことは、決して忘れられないという。紅白でも歌唱した「襟裳岬」で日本レコード大賞を受賞すると、その足でNHKホールに大急ぎで駆け込んだ。慌ただしく紅白の進行が進み、興奮が冷めやらぬうちにいよいよ自身の出番がきた。「それがね、ズボンのファスナーが開いていたんですよ。黒いえんび服を着ていたけど、股間(こかん)から真っ白なシャツがベロンと…」。ワンコーラスを歌い終えるや、白組歌手陣が森を囲んだ。「橋幸夫さんだったか、『チャックが開いているぞ』って教えてくれたんです。緊張しすぎたり、忙しすぎると忘れちゃうことがある。ほかのステージでも2、3回やったかな。自分で気付いていないのも、ほかにあるかもしれないね(笑い)」。

 この年の紅白を忘れられない理由は、もう1つある。前年に最愛の母尚子(しょうこ)さんが47歳の若さで自死した。貧しい家庭に育ち、「母と弟妹に人並みの生活をさせたい」との一心で歌手になった森は、歌う意味を見失った。「母が亡くなって、何で自分は歌手をやっているのか、どう生きたらいいのか分からなくなった。本当に苦しかったですね」。悶々(もんもん)とする日々の中、出会ったのが「襟裳岬」だった。

 「日々の暮らしは

 いやでもやってくるけど

 静かに笑ってしまおう」とある歌詞に胸を強く打たれた。当時の森には、穏やかな笑いなんて永遠に訪れないものに思えたからだ。「何とかこの歌詞を超えたい。今の自分を乗り越えたい」。妹の満寿美さん(55)も「多くを語らぬ兄ですが、自分たちにも心中のつらさは痛いほど伝わっていた」と話す。森の必死な思いが天に通じたのか、「襟裳岬」はその年を飾る大ヒットになった。だが、森は「曲は確かに売れたかもしれないけど…僕自身はまだ歌を乗り越えてはいなかったんです」と振り返る。

 やがて結婚。3人の子どもにも恵まれて、歌詞にあるような「静かに笑える」心境になることができた。それまで、何度も訪問のオファーがありながら足を向けられなかった襟裳岬を初めて訪れたのは97年。曲との出会いから23年の歳月が流れていた。

 【松本久】

 ◆森進一(もり・しんいち)

 本名・森内一寛。1947年(昭22)11月18日、山梨県生まれ。テレビののど自慢番組で勝ち抜いたことをきっかけに、66年に「女のためいき」で歌手デビュー。昨年発売の「波止場」で、オリコン史上初の通算100作ランクインを達成した。代表を務めた「じゃがいもの会」で、総額5億円を難民支援などに寄付するなどチャリティー活動にも尽力。代表曲に「花と蝶」「おふくろさん」「襟裳岬」「冬のリヴィエラ」など。167センチ。血液型O。

 [2009年12月27日8時40分

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