西日本豪雨で25人が死亡し、数千件が浸水するなど甚大な被害が出ている愛媛県。山あいの鬼北町(きほくちょう)では、上甲キヨ子さん(90)の行方が依然、分かっていない。上甲さんの長男常夫さん(66)は「あの日、泊まっとったらよかった」と悔やむ。

 キヨ子さんは宇和島市から東に約15キロほど山あいに入った鬼北町の家に、暮らしていた。棚田を見下ろす谷あいの最上部の一軒家で、数年前に夫亘さんを亡くし、1人だった。ただ、宇和島市に住む常夫さんが毎日、車で片道30分の山道を登って、妻が作った食事を届けていた。

 6日も、いつものように晩ご飯のおかずを届け、いつものように少し話をした。豪雨災害は予想もしていなかった。「だから、最後に何を話したかも覚えとらんの」。そう言うと、涙があふれた。

 常夫さんは6日午後8時ごろ、実家を出て宇和島市の自宅へ帰った。7日は午前中に残った仕事を片付け、豪雨も心配だったため、午後2時ごろに実家へ。裏山のため池の方から、泥水が流れ落ちてきていた。家屋の方に水が行かないように、脇を流れる鎌ケ谷川へ排水する溝を掘った。作業を終えて家に向かった。「(母は)まだ寝ようとばーっか思うとったが、おらんかった」。

 玄関には鍵がかかっていた。靴も残っていた。ただ、川に面した庭に出られる居間の掃き出し窓が1枚、開きっぱなしになっていた。普段はくるぶしの深さで、「台風でも1メートルもいかん」という庭先の鎌ケ谷川は、1・5メートルほどに増水していた。自宅の裏山のため池付近の水路は土砂や20センチ前後の石で埋まり、周囲の草木が、流れでなぎ倒されていた。

 キヨ子さんは宇和島市出身。夫亘さんに嫁ぎ、実家前の水田でコメを作る農家だった。キヨ子さんも数年前まで、田んぼに入って作業をしていたが、近年は足が弱くなり、歩いて出歩くことはなかったという。穏やかで優しく、最近はデイサービスで会う同級生とのおしゃべりを楽しみにしていた。「外の様子を見に出て、流されたか…」。

 自宅脇の鎌ケ谷川は、三間川、広見川を経て、四万十川に合流し、太平洋に注ぐ。下流に向けて捜索が続いているが、いまだ、手掛かりは見つかっていない。

 自宅脇の畑にはサトイモの大きな葉が谷からの風に揺れていた。「ばあちゃんはイモ好きやったけん、植えたけどな…」。何度も、同じ言葉が頭の中にめぐってくる。「あの日、泊まっとったら…」。

 6日の晩ご飯に持っていったおかずはシチューだった。「ハヤシライスにして食べて…。そう。でも、カレーだと思ったんか、帰りがけに『カレーが残っとるけ、食べてかんか。食べて帰らんか』と…。それで『帰って食べる』と答えた。思い出しました」。少し笑った後、涙を隠すように後ろを向いて、庭の方を見つめた。