野党第1党の立憲民主党は改選議席数9から倍増した。立民は17年に結党。同年衆院選で野党第1党となり、2度目の国政選挙でステップアップした形だ。枝野幸男代表(55)は「次の衆院選では野党間の連携を強化して、政権選択していただける状況を作っていく」と決意を新たにした

紆余(うよ)曲折もあった。当初、枝野氏は立民の独自候補擁立を目指したが、方針転換。参院選前にようやく全国32の「1人区」で野党候補を一本化し、統一候補を擁立した。衆参同日選挙の可能性にも振り回され、野党共闘への路線転換を含めた出遅れ感は否めなかった。

枝野氏は自衛隊の合憲性など、立民と立場が異なる共産党の公認候補が野党統一候補となった福井選挙区にも、応援に駆け付けた。一方で、「2人区」の静岡で国民民主党と競合するなど、完全な野党共闘とはならなかった。枝野氏は議席競合を「自民党に漁夫の利を出させないところであれば、野党が切磋琢磨(せっさたくま)して全体のパイを広げていくのは当然のこと」とし「戦略は間違っていなかったし、一定の効果を上げた。今後、政権交代に向けたチームを組んでいける」と成功を強調した。

安倍首相は選挙中、繰り返し「民主党の枝野さん」と発言。枝野氏は「一種の選挙妨害。いいかげんにしてほしい」と反発した。安倍首相の“突っ込み”もかわして自民の牙城を崩す形となったが、ほろ苦い躍進となった。【近藤由美子】