「ドカベン」「野球狂の詩」「あぶさん」など野球漫画の第一人者として知られる、漫画家の水島新司さんが10日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。82歳だった。

水島プロダクションが17日、発表した。葬儀は家族葬で執り行った。喪主は妻修子(しゅうこ)さん。20年12月1日に漫画家引退を電撃発表してから、わずか1年後だった。

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プロ野球のキャンプインが2週間後に迫る中、多くの選手も憧れた“名選手”を多数生み出した水島さんが逝った。水島プロダクションは「闘病中でございましたが肺炎のため永眠いたしました」などと発表。関係者も日刊スポーツの取材に「亡くなったのは事実です」と認めた。

水島さんは、新潟市で魚料理店を営む父の下に生まれた。子供の頃から父を手伝い、家計の事情から進学を諦めて海鮮問屋などで働く傍ら、漫画家を目指したという。58年に大衆漫画を貸し出す貸本向け出版社「日の丸文庫」の短編集「影」の第1回新人賞にデビュー作「深夜の客」を出し、第二席を受賞。18歳でデビューし、同社で漫画を学びつつ人気作家となった。

64年に独立、上京。70年に「週刊少年サンデー」(小学館)で、直球しか投げない藤村甲子園を描いた「男どアホウ甲子園」の連載を開始。72年から「週刊少年マガジン」(講談社)で女性初のプロ選手・水原勇気が変化球を駆使して活躍する姿を描いた「野球狂の詩」を不定期で連載した。

同年には「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で、白新中時代に憧れた新潟明訓高がモデルとされる「ドカベン」の連載を開始。主人公の山田太郎と体形が似ていることから、浪商高(現大体大浪商)で3度、甲子園に出場後、南海(現ソフトバンク)に入団した故香川伸行さんの愛称が「ドカベン」になるなど社会現象的な人気を呼んだ。

73年には「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で酒豪の強打者・景浦安武を描く「あぶさん」の連載も開始。各作品の連載が長期に及ぶ傍ら、06年に独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ(現BCリーグ)」のアドバイザーに就任。08年には「あぶさん」との縁もありプロ野球マスターズリーグの福岡に入団と、現実世界でも野球関係者と深く関わった。

「あぶさん」は14年2月、「ドカベン」は18年6月に連載が完結。同年8月には「ビッグコミックオリジナル」に、画業60周年記念の読み切り作「あぶさん~球けがれなく道けわし~」を掲載したが、20年12月1日に「63年間頑張って参りましたが、本日をもって引退することに決めました」と電撃的に引退を発表。「漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」とした一方「心境の変化があった」と同日に野球殿堂の候補者入りを辞退した。

葬儀は「故人の遺志により家族のみにて執り行いました」と表舞台からは一線を引き、静かに旅立った。

◆水島新司(みずしま・しんじ)1939年(昭14)4月10日、新潟市生まれ。73年「野球狂の詩」で講談社出版文化賞、翌74年に「男どアホウ甲子園」で小学館漫画賞を受賞。「あぶさん」は14年の最終回で、63歳で引退し1軍助監督を務めるも4位と低迷し退団した景浦を描いた。「ドカベン」は18年の最終回で太郎、岩鬼正美らが集まった東京のチームと、同じ明訓高出身の微笑三太郎率いる京都のチームの決勝戦を描いた。05年に紫綬褒章、14年には旭日小綬章を受章。

▽故香川伸行氏夫人・弘美さん 香川にとって水島先生は大恩人でした。漫画「ドカベン」がなければ、世の中に存在が知られることはなかったかもしれません。太った体格でも、足が遅くても「お前は、お前だから」と激励を受け続けたのは、ちゃんとプロ野球選手として認めてくれていたからだと思っていたようです。水島先生の直筆で「おれのドカベン君 水島新司」と書いていただいたサインボールは、香川にとって大事な宝物でした。今はありがとうございますという感謝の気持ちでいっぱいです。ご冥福をお祈り申し上げます。