石原慎太郎氏は1999年の東京都知事選に出馬して圧勝し、都知事になった。

よく怒るが、最後ににっこり笑うとその場の空気をプラスにして人を引きつける魅力があった。

出馬が取り沙汰されていたころ、本人は毎度「ケセラセラ(なるようになるさ)」とにっこり笑い、けむに巻いた。

虎ノ門にあった事務所に取材のため通っていたある日、ブレーンの1人が昔の写真を見せてくれた。白いワイシャツに赤いネクタイ。顔は人なつこいスマイルで「新しい都政を新しい人に。」と書かれていた。石原氏は24年前の75年に初めて都知事選に挑戦したが美濃部亮吉氏の革新都政に敗れていた。そのときのポスターだった。

「このポスターを撮ったのは写真家の加納典明さん。今回も加納さんに撮影してもらったよ」。「えっ」。

本人が「ケセラセラ」と笑う裏で選挙ポスターは出来上がっていた。

石原氏はみこしに乗る人。本人とは別にブレーンたちが、どんどん準備を進めていた。大手不動産会社勤務の人は、西新宿に選挙事務所用の土地をすでに確保していた。大手広告会社の人はイメージを作り、政治家の秘書は政治戦略を練っていた。

集まったブレーンは一橋大の同期や後輩たち。「家族より血の絆が濃い石原マフィアだから」と言っていた。ゴッドファーザーか、今でいったらはせ参じた鎌倉殿の13人か。

石原氏は選挙戦でたすきや白い手袋はしない。人と同じが大嫌い。「おれは政治家じゃねえ。芸術家だ」と政治家になっても最後まで言っていた。

マッチョな思想と芸術家の顔と。賛否を含み、人を熱狂させる2面の魅力をもった極めてまれな人だった。【南沢哲也】

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