東日本大震災による津波で孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島で、震災直後に島民唯一の足として活躍した臨時船「ひまわり」。船長だった菅原進さん(79)を中心に震災遺構としての保存活動が行われているが、当初の予定よりも大幅にスケジュールが遅れている。

船を陸上げしたのが20年8月。菅原さんの自宅敷地内に移設し、「ひまわり保存館」を作るためにクラウドファンディングを実施。集まった約60万円でトイレや水回り整備をしたが資金は底をつき、大工仕事が得意な菅原さん自身が階段と手すりを取り付けた。「屋根を付けたいし展示品も置きたい。休憩場所も整備したい。でも、それらの資金を今後どうやって工面をするのかが今後の課題。そして、コロナの影響もあってか、保存館を訪れる人が想定していたよりも少ない」と、思うように進まない現実を見つめている。

だが、コロナ禍にあっても、志の高さと熱い思いは変わらない。「震災を風化させないためにも保存は絶対に必要。特に未来を担う子どもたちには、『ひまわり』を通じて命を大切にすることを学んで欲しい。どんな苦しい時でも笑顔を忘れないということと一緒に」と力を込める。

昨年9月には地元の気仙沼小6年生に道徳の出張授業を行い、同11月には児童たちが「ひまわり」を訪れる課外授業も実施した。「船の先に二十数メートルの高さの杉がある。操舵(そうだ)室から見ると、津波があの木より高かったんだと説明をすると生徒たちが『えーっ』と驚いていた」と目を細めて振り返った。

昨年6月には、東京五輪・パラリンピックの聖火リレー走者として市内を疾走した。「テレビなど通じて気仙沼の映像が流れれば『被災地の今』を1人でも多くの人に伝えることができる。そして世界中の人たちに、支援への感謝の思いも伝えたかった」。200メートルを走る予定だったが「最終ランナーだったので400メートルくらいは走ったよ」と笑顔を見せた。

震災後の大島で、「ひまわり」は約8カ月、本土へ向かう島民を無償で乗せ続けた。その活躍は英BBCなど海外メディアで大きく報じられ、日本でも小学校の道徳副読本に。感銘を受けた歌手さだまさしは「『ひまわり』保存会」の名誉顧問となり、医師で作家の鎌田實さんは会長に就任してバックアップをしている。

あれから11年。震災の記憶を次の世代に語り継ぐ-。同じ志を持つ仲間たちとともに、菅原さんの「震災の語り部」としての歩みは続く。【松本久】