元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。  ◇  ◇  ◇

参院議員だった猪木さんが国会の委員会で質問に立つと、出席者はどこか身構えた感じがあった。質問の前に必ず、あの「元気ですか~!」が飛び出すからだ。2014年3月の予算委員会。その前年に2度目の参院議員となって初めての質問でおたけびを上げた際は、委員長に「元気が出るだけでなく心臓に悪い方もいる。今後はお控えを」と注意を受けたが、控えることはなかった。「元気があるから質問もできる」などとオチもつけ、すっかり定着させてしまった。

そんな数ある国会質問のうちの1つに、「師弟対決」があった。新日本プロレス時代、師弟関係にあった馳浩文科相(当時、現石川県知事)が答弁に立った、2015年11月の予算委員会。2人の対決は1992年の東京ドーム以来23年ぶりで、この時は猪木さんが勝利していた。

猪木さんはかつて馳氏に「大臣になった時は、最初に猪木さんの質問を受けます」と言われたことを明かし「こんなに早く実現するとは」と、ちょっと感慨深げだった。「スキャンダルをまとめてきたが、今日はやめておきます」とジャブで挑発した後は、東京五輪の暑さ対策への対応など、手加減なく切り込んだ。

当時、馳氏は文科相として初入閣したばかりで、型通りの答弁も目立った。猪木さんは「役所の意見のように聞こえる。自分の意見を」と訴えたが、消化不良のまま国会での師弟対決は時間切れに。途中、「延髄切りだ」とヤジが飛ぶと、猪木さんは「卍(まんじ)固めですね」と、かつて馳氏を破った際の技の名前を口にする場面もあった。

消化不良のまま質問を終えた猪木さん。さぞや怒っているかと思ったが「たまには(質疑ではなく)飲みながら意見交換したい」と、笑顔で話した。

レスラー出身として、国会議員への道を切り開いた猪木さん。その道を追った後輩が、大臣として「出世」した姿を前に、どこかうれしそうな表情だった。【中山知子】