高倉健さんが主演した99年の映画「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男監督)の撮影が行われた、北海道空知郡南富良野町のJR幾寅駅が、31日のJR根室本線廃線を受けて駅の役目を終える。同駅が1902年(明35)12月に十勝線の駅として開業してから、121年の歴史を閉じることを受けて、同町企画課まちづくりプロジェクト推進室が企画した上映会と、撮影監督の木村大作氏(84)の講演が23日、同町保健福祉センターみなくるで行われた。
上映会には南富良野町民を中心に、遠くは広島県や埼玉県などからも駆けつけ、130人が鑑賞した。
「鉄道員(ぽっぽや)」は、浅田次郎氏の小説の実写化作品。幾寅駅は、99年1月17日から30日まで高倉さんらが町の協力のもと「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影を行ったロケ地で、駅舎には劇中の駅名「幌舞駅」が撮影時のまま掲げられている。高倉さんが演じた佐藤乙松は、廃線が決まった北海道のローカル線の駅・幌舞駅の駅長として定年を迎える役どころだが、幾寅駅はくしくも廃線寸前の駅という映画の内容と同じ運命をたどることになった。
2016年(平28)8月の台風10号で空知川の堤防が決壊し、南富良野町は甚大な被害を受けた。その後、東鹿越駅~新得駅間の運行は休止され、幾寅駅もバス代行輸送となり、幾寅駅の線路には1度も列車が走ることはなく、復旧のめどもつかないまま廃線となった。列車が走ることがなくなっても、駅舎内には高倉さんが劇中で着用した「駅長のコート」をはじめ、小道具や関連する品々が飾られ続けた。「鉄道員(ぽっぽや)」記念館と化した幾寅駅には、日本全国はもちろん、アジアを中心に海外からも年間4万人も訪れる観光地となっていた。
駅舎の他に、撮影のためだけに建てられたセットが3つ、今でも残されている。本来なら撮影が終わったら壊すもので、冬の雪の重みにも耐えられるようには作られていなかったが、毎年11月下旬から4月まで積もる雪の重みにも耐え、どうしても残したいという町役場の強い熱意の元、残すことが決まった。廃線が決まった時も、地元の人々の熱い思いから、駅舎を含め3棟のロケセットもこのまま維持していくことになった。
木村氏は上映前に、集まった幾寅婦人会のメンバーと駅舎の前で写真を撮りながら昔話に花を咲かせた。婦人会はロケ中は毎日、ボランティアで食事作りに協力。昼食に提供された手作りのイモ団子は、ジャガイモをゆでてつぶして片栗粉とねり、焼いた素朴なものだが、極寒のロケの最中には特においしく感じたようで、高倉さんも「おいしい!」と大喜び。東京に戻ってからも、地元のジャガイモを使い、熱々のところにバターを塗って食べた味が忘れられなかったという。
この日も婦人会の後藤会長の、手作りのイモ団子が木村氏に振る舞われた。婦人会は撮影が終わっても、雨の日も、風の日も、雪の日も毎日、駅を清掃した。14年11月に高倉さんが亡くなって以降、命日には毎年、祭壇を設け、イモ団子やコーヒーを供え、木村氏が20年に文化功労者に選ばれた際は、駅舎の中におめでとうの幕を掲示するなど、常に「鉄道員(ぽっぽや)」とともに歩んできた。エキストラで出演した女性は、当時幾寅駅の乗客の1人として参加した際に持っていたかばんを持参し「高倉健さんから『協力、ありがとう』と言われたことが本当にうれしかった」と語った。
木村氏と南富良野町は、コメントを発表した。
木村大作氏 撮影当時は59歳。そこから25年たった今、高倉さん、降旗監督ら当時のスタッフ、キャストも鬼籍に入ってしまい、生き残っている自分が「この映画を語り継ぎたい」と本日来させていただいた。当初、この企画に難色を示していた高倉さんだったが、自分にできることは先行してロケハンして準備することだと、2週間ほど北海道中をトラックで自ら運転してたどり着いたのが幾寅駅だった。幾寅駅は駅舎より線路が高いところにあり、乗客は階段を上ってホームから列車に乗り込む。幾寅駅に決めた理由は、この階段が高倉健や登場人物の心情を表すから。映画公開から25年、その後初めて駅舎に訪れた。当時駅舎の周りにはコンクリートの電柱が3本あった。撮影するのは映り込むのが必至だったので、JR北海道や電力会社にお願いして、木の電柱に変えてもらった。その木の電柱が今でもそのままあった!(昨日、東京から飛行機で新千歳空港着、列車と車を乗り継いで4時間かけて南富良野町に到着し)本当に遠いな! でもこの駅を選んだのは俺だった! 廃線はとても残念だが、今の世の中、仕方のないこと。ただ、列車が通らなくなると廃れてしまう駅を今までたくさん見た。高倉健さんの出演映画は北海道でのロケが多く34本を数えるがその中でも鉄道とのつながりは特に多い。「駅 STATION」(81年)の増毛駅、「幸福の黄色いハンカチ」(77年)の夕張など廃線になってしまった駅も多い。列車が通らなくなると街は廃れてしまいがちだが、町の人たちの元気が無くらないよう頑張ってほしい。駅舎とロケセットを残すことも決めてくれたことは本当にうれしいし、ありがたい。
南富良野町 映画「鉄道員(ぽっぽや)」のストーリーと同様に南富良野の線区が廃止となり、町内を走る列車の雄姿を見ることがなくなり、町の開拓に既に2016年の災害から7年以上が経過し、列車の走らない踏切を通学・通所する地元の子ども達が増えていることから、明治の時代に開通して以降100年以上の歴史を持ち、本町の開拓の礎となり、人を運ぶだけではなく、基幹産業である林業・農業・鉱業などの物流を支える重要な役割を果たしたこの歴史を将来に向け、幾寅駅を鉄道遺構と名作を作った駅舎として子どもたちへ引継ぐとともにロケセットを今後も残し地域振興につなげて行く。そのために、老朽化したロケセットを改修、東映様のご協力の元に塗装を実施し、本町の大きな観光資源として活用し続け、町観光協会に現在同様に管理を行っていく。

