2023年も名馬、ホースマンが天国へと旅立った。ファンの記憶に残る名馬、調教師の死を悼むとともに、その栄光を振り返る。(JRA、牧場、調教師会などからの発表を受け日刊スポーツ紙面で報じたG1馬など、調教師が中心)

■1月11日アグネスフライト(牡26)

繋養(けいよう)先の社台ブルーグラスファーム(北海道日高町)で老衰のため死亡した。年明けから起立不能となって回復の見込みが立たず、安楽死の措置が取られた。00年2月に長浜厩舎からデビュー。重賞初Vの京都新聞杯から臨んだダービーではエアシャカールと鼻差の激戦を制し、河内洋騎手(現調教師)に初のダービータイトルをもたらした。全弟は01年皐月賞馬のアグネスタキオン。通算14戦4勝。

■2月12日アドマイヤマックス(牡24)

繋養(けいよう)先のビッグレッドファーム(北海道新冠町)で事故のため死亡した。橋田厩舎から01年10月にデビュー。無傷2連勝で同年の東京スポーツ杯2歳Sを勝った。その後は勝ち星から遠ざかったが、04年富士Sを制して復活すると、05年高松宮記念で待望のG1タイトルをつかんだ。通算23戦4勝(うち海外2戦0勝)。種牡馬としてはダートG1馬のケイティブレイブを送り出した。

■5月28日スキルヴィング(牡3)

青葉賞Vから挑んだダービーで17着入線後、この世を去った。青葉賞組はダービーを勝てないのジンクス打破をかけ、2番人気に支持されたが直線で失速した。ゆっくりとゴールを通過後、鞍上のルメール騎手が下馬。その直後に1コーナー付近で倒れ込んだ。レース後、JRAの公式サイトでは競走中に急性心不全のため死亡と発表。若くして残念な死となった。通算5戦3勝。

■8月8日競走馬登録抹消アスクビクターモア(牡4)

22年の菊花賞馬は放牧先で熱中症による多臓器不全のため死亡した。田村厩舎から21年6月デビュー。2戦目で初勝利を挙げ、22年弥生賞で重賞を初制覇した。皐月賞5着、ダービー3着と涙をのんだが、3冠最終戦の菊花賞を先行押し切りで制した。古馬になってからの3戦は結果が出ず、宝塚記念11着後、秋に向けて充電中の惜しまれる死だった。通算12戦4勝。

■9月21日スティンガー(牝27)

社台ブルーグラスファーム(北海道日高町)で老衰のため死んだ。藤沢和厩舎から98年11月にデビューして新馬勝ち。続く赤松賞も勝ち、連闘策で挑んだ阪神3歳牝馬S(現阪神JF)も制して無傷の3連勝。同年のJRA最優秀3歳牝馬に輝いた。オークス4着、天皇賞・秋4着などさまざまな距離を走り、ラストランの02年高松宮記念では初の1200メートルで3着と好走した。通算成績は21戦7勝。

■9月27日シンコウウインディ(牡30)

ダーレー・ジャパンが死亡翌日の9月28日に公式X(旧ツイッター)で発表した。96年1月に田中清厩舎からデビュー。新馬戦を勝ち、7戦目のユニコーンSで重賞初制覇。翌97年はG1昇格初年度のフェブラリーSを岡部幸雄騎手とのコンビで制した。直線で他馬にかみつきに行き、失速して敗れたレースもあり、多くのファンを獲得したことも有名だった。通算17戦5勝(うち地方4戦0勝)。

■11月28日アドマイヤジュピタ(せん20)

繋養(けいよう)先のノーザンホースパーク(北海道苫小牧市)で老衰のため死亡した。05年11月に友道厩舎からデビュー。骨折もありクラシックに出走できなかったが、古馬になった4歳秋の07年アルゼンチン共和国杯で重賞初制覇。翌08年に阪神大賞典と天皇賞・春を連勝した。天皇賞・春は友道厩舎のG1初制覇となった。通算14戦7勝。