落馬負傷で22年4月から戦列を離れていた藤井勘一郎騎手(40)が今月末で引退することが14日、JRAから発表された。

第4胸椎脱臼骨折の大けがを負って2年近くリハビリを続けている中で、騎手というキャリアに終止符を打つことを決断した。今後は未定だが、競馬に携わる仕事を志しているという。

「自分としては『1歩を踏み出したい』という気持ちです。騎手免許を保持していることで、できないこともありますから。過去を振り返るのではなく、新しい可能性に心を寄せています」

その弾んだ声からは未練よりも、次のステップへの希望が感じられた。

世界13カ国を渡り歩いた異例の経歴を持ち“逆輸入騎手”として注目された。中学3年時にJRA競馬学校を受験しようとしたが、規定の体重43キロへ残り1キロが絞れず断念。15歳で海を渡って、オーストラリアで見習騎手としてデビューした。ステッキ1本を手に世界を飛び回り、中国の内モンゴル自治区で騎乗したこともある。

19年に6度目の挑戦を実らせ、念願のJRA騎手の免許を手にした。「13カ国を回って『ここでやりたい』と感じた」。JRAでは20年フラワーC(アブレイズ)で重賞制覇を果たすなど、通算42勝を挙げた。

「感謝しかないです。楽しい騎手人生でした。憧れの職業でしたし、物語の世界に生きてきたような感覚があります。JRAの騎手になって本当によかったです」

22年4月16日の福島8Rで落馬して脊髄を損傷した。それでも7カ月半に及ぶ入院生活を終えると、車いすをこいで栗東トレセンにもたびたび訪れた。その両腕は鍛えられ、負傷前より太くなったほどだ。

落馬事故の前から自身のキャッチフレーズとしてきたのが「フジイチャレンジ」だ。体調が安定せず立ちくらみや発熱などに苦しむ日もあった。それでも常に笑顔で「みんながポジティブにさせてくれるので、前を向かざるをえないんです。目の前の困難に立ち向かっていかないと。自分へのチャレンジです」とリハビリに励んできた。SNSでも前向きな発信を続け、デットーリやボウマンら憧れの名手からも激励のビデオメッセージが届いた。

「事故があってから『回復の記録を残したい』という気持ちもあって、SNSを続けてきたんですが、ファンの方から声をかけられたり、驚くほどの反響がありました」

今はただ前だけを向いている。

「競馬には引き続き深く関わっていきたいと思っていますし、英語やパソコンも勉強し直しています。残念ながら足の機能はもどらなくてどうしようもないですけど、手は使えますし、頭はダメージを受けていません。今の自分で最大限何ができるかを考えて、ワクワクする仕事がしたいですね。海外と日本の架け橋になる仕事もしてみたいです」

来月からは立場が変わる。一方で、胸にあふれる熱量は変わらない。「フジイチャレンジ」のゴールはまだはるか先にある。【太田尚樹】

◆藤井勘一郎(ふじい・かんいちろう)1983年(昭58)12月31日、奈良県御所市生まれ。01年にオーストラリアで見習騎手としてデビュー。07年にはシンガポールの短期免許を取得して同年3月のG3チェアマンズTで重賞初勝利。19年にJRA騎手免許を取得。JRA通算1182戦42勝(重賞1勝)。