指揮官として広島を3連覇に導き、日刊スポーツ評論家に就任した緒方孝市氏(51)の「3連覇思想」、最終回は「転機」の重要性について語ります。

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選手にとっての「転機」ということを考えてみたい。誰にでも気持ち、プレーが変わるきっかけのようなものがあると思っている。選手、コーチ、そして監督として、ここまでやってこれた自分を振り返れば、母親がこの世を去ったとき、そこが生まれ変わる転機だったと考える。

入団9年目の95年6月6日、自分が26歳のときに母が亡くなった。52歳だった。2年間ぐらい闘病していて回復の兆しもあったのだが無念の結果になった。今年、自分がその52歳になるのだが、当時はそんな年齢でこの世を去ってしまうのか…と衝撃を受けた。

2人の妹、親類もみな、すごく悲しんだ。そんな中でもっとも驚かされたのは父親の姿だった。実家は佐賀・鳥栖の海産物卸売り業。両親共働きだったが特に父親は昔かたぎの厳しい仕事人だった。子どものときに一緒に遊んでもらった記憶はまったくないし、楽しく思い出すのは小学生のとき、野球のグラブを買ってもらったことぐらいだ。

そんな父親が母のことで見ていられないぐらいに落ち込んでしまった。その父も昨年(19年)に亡くなったので、もう話してもいいと思うのだが、こんなことがあった。

「緒方の父親が母の墓前で倒れている」。そう言って救急車が呼ばれたことがあった。事実は早朝からの仕事を終え、墓参に行った父が母の墓に触れながら話しかけているうちに寝込んでしまったのだ。しかし、その様子を見た知り合いが「倒れている。大変だ」と思って救急車を呼んでくれたということだった。

それほど元気をなくしていた父親だったが唯一と言っていいぐらい喜んでくれたのが自分の野球での活躍だった。母親も生前、鳥栖から広島までこっそり見に来てくれていたということは後で聞いた。両親ともに応援してくれていたことをあらためて思い知った。

父を元気づけるために何ができるのか。そう考えたとき、広島で活躍し、メディアに取り上げてもらうことしかなかった。正直、それまでは1軍半のような選手だったがそこから必死になった。そのシーズンに盗塁王を取ったこともあり、次第にレギュラーと言われるようになった。

転機と言ったが何かのきっかけで「これでいいのか」と感じることが大事なのでは、と思う。実力がありながら伸び悩んでいるような選手はそんなことも少し考えてほしい。(日刊スポーツ評論家)