ロッテ佐々木朗希投手(18)は25日、メットライフドームで瞬発系のメニューなどをこなした。熱気がこもりやすい構造。いつもより息を切らせながら、美馬ら先輩投手たちと明るい表情で取り組んでいた。

ちょうど1年前が、大船渡高での最後の試合だった。球場で泣き、夜の大船渡へバスに揺られた。起用も含め、決勝の反響は大きかった。学校から離れた場所で解散すると、迎えの車に乗った瞬間に家族の横で再び号泣した選手も多かったと、後に聞いた。

複雑な海岸線と山に囲まれた港町で、小中高と味方も相手もほぼ顔ぶれが変わらない野球の日々だった。幼少期からの付き合いで深まった「一緒に甲子園へ」の思いも強く、1年くらいでは簡単に悔しさは消えない。それでもエースに夢を託し、ナインは全国各地で新たな道へと歩きだした。

佐々木朗は1軍帯同を続け、体を作りながら、やがてのデビューに力を蓄えている。全員が年上で時には気苦労もあるだろう。それでも会話に積極的だ。最近、変化が生まれた。セットアッパーのハーマンとの会話が目立つようになった。身ぶり手ぶりを交え、英語で話している。

チームに外国人がいる新鮮さを「なんか、自由だなと思います」と楽しそうに話したことがある。母校はカナダ人講師が休み時間にも積極的に生徒に話しかける環境だった。学びを、社会で即、応用している。とりわけハーマンはニューヨーク近郊の出身。見てきた景色はまるで違う。18歳の世界はどんどん広がる。

故郷を巣立ち、己を広げ、深め、仲間たちはまた集まる。1年後には「まだ悔しい」の気持ちも5年、10年、20年と過ぎるうちに深まり、青春の思い出を色濃くする。7月を前に、全国の高校3年生にエールを送った。「素晴らしい未来に向けて、この3年間の積み重ねを忘れず、頑張り続けてください」。佐々木朗も振り返らず、明るい未来へ歩いている。【金子真仁】