セ・リーグの弱体化が本格化したのはいつごろなのか?

2002年(平14)に巨人が日本シリーズを制した後、06年までの4年間はパ・リーグが連勝。この間、04年からの3年間はパだけでCSが行われ、日本シリーズはセが不利だったが、勝てなかった理由はCS導入の差だけではない。前章で触れた、野茂英雄が突破口を開いた「メジャー流出」の流れが、巨人を直撃した。

日本一を達成した02年オフ、不動の4番を務めていた松井秀喜が、FA権を行使してヤンキースへ移籍した。投手は、97年にはヤクルトの吉井理人、98年にオリックスから木田優夫、99年に横浜から佐々木主浩がFA権を行使してメジャーに移籍したが、00年にはポスティング制度でオリックスからイチロー、阪神から新庄剛志がFA権を行使。続々とメジャーに移籍した。

松井の抜けた穴を埋められない巨人は、03年はリーグ優勝を逃すと、07年にはリーグ優勝しながらCSで中日に日本シリーズの出場権を奪われ、08年まで選手権に出場できなかった。その後、09年と12年に原監督率いる巨人が日本シリーズを制したが、セは03年から20年までの18年間で3回しか優勝していない。

この間もポスティングで西武から松坂大輔、日本ハムからダルビッシュ有、広島から前田健太、楽天から田中将大、日本ハムから大谷翔平ら、大物選手が移籍。FA権の行使でも巨人から上原浩治、高橋尚成が海を渡った。巨人やセ球団にとって大きな補強になっていたFA制度が、逆に戦力ダウンをもたらす制度になってしまった。

さらに「希望枠」と名称を変えていた逆指名制度で、選手への裏金問題が発覚。07年から廃止された。93年から名称やルールを変更して存続していた逆指名制度は、16年間で幕を閉じた。

ドラフトの抽選勝敗と勝率
ドラフトの抽選勝敗と勝率

07年からは抽選によるドラフト制度に戻った。本来であれば平等なドラフト制度だが、ここでも巨人、及びセ球団には厳しい現実が待っていた。

65年から始まったドラフト制度は、逆指名制度で中断される前までの41年間、抽選の結果はセが77勝126敗(勝率37・9%)で、パが76勝125敗(勝率37・8%)で、ほぼ変わらなかった。

しかし、07年に再び抽選が実施されるようになると、セは27勝69敗(勝率28・1%)に落ち込み、パは36勝59敗(勝率37・9%)。公平な抽選とはいえ、10ポイント近い差が出てしまっている。引き当てる確率が40%以上の球団を見ると、セは中日が6勝7敗(46・2%)でトップ。パはロッテが12勝6敗(66・7%)、楽天8勝10敗(44・4%)、西武4勝6敗(40%)で3球団もある。

19年10月、ドラフト会議で佐々木朗の交渉権を獲得したロッテ井口監督(左から2人目)はガッツポーズ
19年10月、ドラフト会議で佐々木朗の交渉権を獲得したロッテ井口監督(左から2人目)はガッツポーズ

巨人に至っては2勝14敗(12・5%)で、オリックスの1勝13敗(7・1%)よりマシなだけ。逆指名で恩恵を受けたしわ寄せが、抽選結果につながったとしか思えないような惨敗ぶりだ。多少の戦略はあるだろうが、セは運にも見放されている。

パの強さをけん引したのが、福岡ダイエーホークスを買収して05年から球界に参入したソフトバンクの存在だ。プロ野球の中期時代に西武が球界に参入し、パのレベルを上げたが、ソフトバンクのけん引力は西武以上。次回はソフトバンクがNO・1球団になるまでの経緯を紹介してみよう。(敬称略、つづく)【小島信行】