引退後の世界

選手生活の充実と球界貢献が目標 元阪神森忠仁氏2

 元阪神の森忠仁さん(56)は、球界を離れて証券会社に入った。最初の仕事は「場立ち」といって、証券取引所の立会場で手サインを使って売買注文を伝達する役目だった。


選手会の事務所に立つ森さん
選手会の事務所に立つ森さん

 森さん(以下、敬称略) 若い人は最初にそこをやっていました。今はシステム化されていて、なくなった仕事ですね。


 引退した直後、証券の知識は持っていたのか。千葉商時代の授業が役立つこともあったのか。


 森 証券のことはまったく分かりません。高校時代の勉強も役立ちませんよ。まあ、まともに授業を受けていませんでしたけどね(笑い)


 営業も経験した。


 森 営業はつらいものがありました。同じ値段でも、ある人には「売ってください」、ある人には「買ってください」と言うわけでしょう。なかなか自分には合っていない気がしていました。


 約10年間勤めて退社した。次は知人に勧められ、保険の代理店に挑戦した。


 森 資格も取りましたが、そこも営業ですから。保険会社とすれば、ある程度の知名度がある人を使って知り合いを押さえたいというのはあるんでしょう。まあ、その中で自分が「ここで生きていく」という覚悟があればいいのでしょうが、私にはなかった。


 営業のどういった面が苦手だったのか。


 森 もともと、しゃべったりするのは得意じゃなかった。昔は人と接するのも好きではありませんでした。営業は一番人と接しなければいけないでしょう。証券会社の頃から「営業はどうかな」と思っていた。営業は得意ではありませんでした。


 違和感を覚えながら保険の仕事をしている頃、松原徹氏から電話があった。松原氏は日本プロ野球選手会の前事務局長で、2015年にがんのため58歳の若さで急逝した。


 森 当時はまだ事務局長ではなかったけど、自分の下で働く人材を欲しがっていた。それを選手総会で話したら、選手会役員の中から「こういう者がいるよ」と、私の名前が挙がったようです。


 それを契機に松原さんと会って話をした。


 森 オフのイベントがある東京プリンスホテルだったかな。松原さんと会って「どうだ」と言われた。すぐに返事はしませんでした。私も選手会がどういう活動をしているか分かっていなかったし、現役を辞めてからプロ野球とは一線を置いていました。野球もまったく見ていませんでした。


 3年ほど経った2000年、松原氏が事務局長に就任する。あらためて森さんに声をかけてくれた。


 森 連絡が来て「どう? 選手のために働かない?」と。そういう殺し文句でした。すぐにピンとはこなかったけど、それだったら私も選手経験があるし、役に立てるかなと。松原さんが局長になると同時に入りました。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 選手会では、選手のデータ管理やオフのイベントなどを担った。キャンプで各球団を回り、選手と話し合う機会もある。


 森 分かっている社会ではあったけど、最初の頃は緊張しましたよ。テレビで見るスーパースターが相手ですからね。当時は35、6歳で、まだ年上の選手もいました。


 選手会は、労組として日本野球機構(NPB)と話し合って選手が働きやすい環境を整える。また一般社団法人として野球教室などイベントを開催する役目もあった。


 地道な業務が多いはずの選手会が、一躍注目されたのは2004年だった。近鉄、オリックスの経営統合を契機に球界再編騒動が起きた。選手会は古田敦也会長(当時)と松原事務局長が中心となり、12球団の維持に動いた。球界初のストライキにも発展した。

 森さんも選手会の職員として渦中に置かれた。


 森 あの時は松原さんがトップで大変な思いをした。選手もきつかった。古田会長は昼間に交渉して、夜は試合と大変だった。ファンのことを考えて、できれば(ストライキは)やりたくなかったが、野球界のために仕方がないと苦渋の決断をした。12球団が維持できて、球界のためになったと思いますよ。


 また同じような騒動が起きれば、今度は事務局長として判断する立場になる。


 森 起こらないに越したことはない。でも、野球界を変えなければいけないとなったら、もちろん決断しなければいけないかもしれない。そうなってほしくありませんけどね。


2016年プロ野球選手会総会での森事務局長(右)と嶋NPB選手会長
2016年プロ野球選手会総会での森事務局長(右)と嶋NPB選手会長

 再編後は、選手の権利のみならず「球界の発展」という視点から意見を出す機会も増えた。ワールドベースボールクラシック(WBC)では、MLB側との交渉にも参加した。選手会が持つ役割は格段に大きくなった。

 大変な騒動から14年が経過した。


 森 当時を知っている選手もいなくなってきた。でも、毎年、新人選手が入ってくると話をするんですよ。あの時に12球団を維持できていなければ、君たちもプロ野球に入って来られたか分からないと。


 2015年、選手会の大黒柱として奮闘してきた松原氏が病に倒れた。闘病の末、9月に逝去した。


 森 私が病気を知ったのは(亡くなる)1年半ぐらい前でした。治療に専念してもらおうと、仕事の面は引き受けました。松原さんが戻ってくるまでとやっていましたが… 本当に残念でした。


 松原氏に代わり、森さんが事務局長に就任した。選手会が取り組む課題は多々あるが、セカンドキャリアも大きな軸と考えている。 「イーキャリアNEXTFIELD」という支援サービス。国学院大とセカンドキャリア特別選考入試に関する協定を結ぶなど、制度を整えている。

 同時に現役選手に向けた研修会も開いている。


 森 専門の方に入ってもらって、自分を見つめ直す研修もしました。自分の経歴をあらためて確認したり、自分の弱みと強み。人の弱みと強みを比較したり。自分を知っておかないと、相手とも戦えません。昨年はメンタルの研修もしました。「辞めた後のことは考えられない」という人が多いので、まずは現役を長くやるためにです。


 現役選手としても、引退後にも役立つ。


 森 野球に生かすか、一般社会に生かすかの違いだけです。考え方を身につけてもらえればと思います。


 移籍しやすい制度も検討課題だという。


 森 選手が辞める時に、やり切ったと思える人は少ない。長年同じ球団にいると、首脳陣の評価も固定観念が出てしまう。環境が変われば活躍できる選手もいると思いますし、もっと移動があっていい。どうやったら選手が「やり切った」と思えるか、そこは考えていきたいですね。


 選手会に入って18年が過ぎた。一流選手だけでなく、結果を残せないままに去っていく選手もたくさん見てきた。事務局長として、選手の充実した現役時代、そしてセカンドキャリアを考えている。

 そんな森さんに聞いた。

 今もし現役時代の自分にアドバイスを送るなら、どんな言葉になるか?


 森 そうですね。「もっと考えて生きろ」ですね。いろんな意味でです。「野球もいろんなことを考えてやれ」と。それから辞めた後もです。野球はいつか辞めなければいけないし、若いうちに辞めることもある。考えて行動することは大切です。


 機会があれば現役選手にも助言するという。


 森 新人研修でも、考えるように言います。選手会の18年で一流選手がどんなことをやっているかを見てきた。やはり考えていますよね。今は野球ノートを書いている選手も多いけど、そういうのは大切だと。あとは監督、コーチがいろんなことを言うけど100%信じちゃいけない。こんなことを言うと何ですけど、言われたことだけやっていてもダメだよと。きちんと取捨選択をしなければいけない。本人としたら「あの人が言ったから」と言い訳になるけど、ダメになっても誰も助けてくれない。野球選手としても、社会人としても自己責任ですよ。


 今後の目標は何だろうか。まずは選手会の事務局長として。


 森 選手会としては、選手が野球に集中できる環境作りですね。いろいろな制度も改善して取り組んでいきたい。


 個人としては。


 森 選手会が終わってからも、別の形で野球界に貢献できればと思いますね。現場から離れたら、また別の視点で何かできると思います。野球の役に立てればと思っています。


 プロ野球界を、そして選手生活を充実させる。その目標が、森さんのセカンドキャリアを充実させている。【飯島智則】

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