裏方の経験が、社会で生きる。

18日から明治神宮野球大会が開幕し、この大会を最後に4年生は大学野球を引退する。その後は新チームが始動するが、中にはプレーヤーとしての球歴に一区切りを付ける選手もいる。自らもその1人だった宮田翔平さん(24)は言う。「上下関係だったり、小さな気遣いだったり。野球で培ったことが今に生きていると思います」。学生コーチとしての経験には、他では得られないものがあった。

■順調な球歴

現在、大手総合電機メーカーの照明部門で営業職に従事する宮田さんは、ソフトバンク宮田スカウトを父に持ち、野球一筋の人生を送ってきた。中学では楽天松井裕樹などがOBの強豪・青葉緑東シニアでプレー。高校は日大高(神奈川)で3年春に県大会準優勝。日大に進学後は捕手としてプレーし、1学年下の巨人赤星優志とキャッチボールもしてきた。将来は社会人野球でのプレーを目指し、練習に励んでいた。

■大学2年秋、突然の転換点

2年の秋、現監督の片岡昭吾コーチから提案を受けた。「学生コーチをやってみないか?」。指導者陣から信頼を得ているからこその話だが、選手としては事実上の引退宣告。「選手として味わえた喜びは、今後一切味わえない。上のレベルでもプレーすることが出来ない。悲しさはありました」。しかし、うすうす気付いていた。自分の実力が大学野球では通用しない。「だったら、そっちの方が貢献できるのかな」。新たな人生を歩むことにした。

■学生コーチに求められるもの

主な仕事内容は練習の手伝いだが、一番大切なことが他にある。「指導者陣と選手の中間に入り、大人の考えを大学生に伝えるということです」。プレーヤーだった時、スタメンで起用してもらえず、指導者に反感を抱くこともあった。しかし、学生コーチで大人たちと距離が近づき、スタメン起用の意図を説明され、納得出来ることが多くあった。その解釈を選手たちに伝える。両者にとって必要なコミュニケーションの仲介役を担った。

■時には厳しく接した

ある時、1学年下の仲の良い後輩が、練習に身が入っていなかった。高校時代に甲子園出場を果たしたが、大学ではスタメン入り出来ず腐りかけていた。心を鬼にした。「俺だって悔しいんだよ!」。室内練習場で気持ちをぶつけた。練習パートナーとして常に切磋琢磨(せっさたくま)してきた後輩。自分が選手としてプレー出来ない分、本気で頑張ってほしかった。怒った後は、コンビニに連れ出してジュースやアイスをごちそう。また仲の良い2人に戻った。その後スタメンを獲得した後輩は現在、社会人野球でプレーを続けている。学生コーチになったからこそ味わえた出来事だった。

■たくさんの経験が今に生きている

「学生コーチとしていろんな人と話してきて、たくさんの表情を見てきました。相手の反応を見て、どう声をかければいいか、どう行動すればいいか。それが分かった気がします」。社会人に入って、苦労もあった。パソコンを触った経験がほとんどなく、人さし指1本でタイピングをしていた。周りは院卒や高学歴の大学を卒業した人ばかり。当たり前のようにこなしていた。そんな時も野球で培った「負けん気根性」で必死にパソコンを打ち続けた。今では両手でタイピングが出来るようになり、持ち前の明るい人柄と高いコミュニケーション能力で仕事の幅を広げている。

■あらためて感じた親のすごさ

父はプロ経験がないままスカウトに就任し、常勝ホークスを作り上げる一翼を担っている。「ノンプロからプロのスタッフになって、相当苦しかったと思います。ずっと厳しい父でしたけど、今になってすごさが分かります。頑張っている姿がかっこいいなって」。仕事を通じて恩返ししていくことが、これからの目標だ。

■迷っている大学生へのメッセージ

最後に、大学生で選手としての進退を迷っている人にどんな言葉をかけるか? と聞いた。宮田さんは答えた。「未練があるなら、選手としてやった方がいいと思います。最後まで頑張った方がいいです。もし、学生コーチに転身するのであれば、今まで経験しなかった新しい発見があります。将来に生きますよ」。多くの経験をしたからこそ、伝えられる言葉だった。【阿部泰斉】