出場49校のラストに登場した作新学院(栃木)は、3番添田真海内野手(3年)が4安打4打点と活躍するなど、強力打線が17安打10得点と爆発し、大勝発進を決めた。上田西(長野)を破り、2年ぶりの16強進出となった。

 右へ左へ左中間へ。身長170センチの作新学院・添田が、広い甲子園で目いっぱいに打ち分けた。2-2と追い付かれた直後の5回に、相手を突き放す2点適時打。7回にはだめ押しとなる2点三塁打。外野へ飛んだ打球はすべて、野手のいない芝生の上を転がった。添田は「相手の変化球が打てて、自分のバッティングがしっかりと出来た」と試合後のインタビューで笑顔を見せた。

 昨年は初戦で沖縄尚学に敗退。「悔しくて帰ってからすぐに練習しました」。昨年、2年生で先発した5人はこの日、全員が出場し雪辱を果たした。

 添田の抜群の運動センスは、栃木県内で教師をする母一恵さん(47)から受け継いだ。母は小山城南高時代にバドミントンでインターハイに出場。日体大に進学後はインカレで8強に進出。国体にも出た。添田は6~12歳まで水泳、6~8歳まではバドミントンの教室に通った。一恵さんは「やってて良かったものはやらせました。体は丈夫で、体育だけはずっと『5』でしたね」。中学までは、山ほど家にあったバドミントンの羽根を父に投げてもらい、フリーバッティングすることが日課だった。

 小針崇宏監督は、32歳の若さで甲子園通算11勝目を挙げた。抽選会後には、3年生を連れて宿舎近くのお好み焼き屋を訪れた。貸し切りだった店で、最後は長渕剛の「しあわせになろうよ」「逆流」「乾杯」「Myself」をみんなで歌って締めた。試合前は「10点までは取られてもいい。その分、打線が打ってくれる」「お客さんが多い。でもみんなの味方だ」と言い聞かせた。一方で、8回裏には、二塁に悪送球した藤野を直後にベンチに下げ、大勝にも緊張感を持たせた。抜群の手綱さばきだった。

 1962年に史上初の春夏連覇を達成した名門が、100周年の夏の甲子園で好スタートを切った。【高橋悟史】

 ◆しんがり勝つ 作新学院が勝ち、49代表制となった78年以降、代表校の最後に登場する学校は通算10勝28敗1分けとなった。しんがり勝利からの8強入りは06年鹿児島工(4強)だけだが、作新学院は3回戦突破なるか。