山梨・市川「最後の夏」にミラクル起きず/コラム

<令和のなつぞら>

<高校野球山梨大会:東海大甲府4-2市川>◇21日◇準々決勝◇山日YBS球場

市川(山梨)に冠せられた「ミラクル」は、起きなかった。エースの村松智之(3年)は整列後、相手の東海大甲府・加藤匠投手(3年)から握手を求められると少し涙ぐんだものの、ベンチに引き揚げると、もう笑みさえ浮かべていた。「僕はあまり『ミラクル』が好きじゃないんです。自分たちの実力で勝ちたかった」とけれん味なく言った。

チームにとって、節目の夏だった。来春には近隣の峡南、増穂商との統合がなされ、青洲(せいしゅう)という新校名となる。いわば、「市川」のユニホームで単独チームとして戦う、最後の大会だった。

村松は感傷的なことは苦手なのかもしれないが、周囲はかつての「戦績」を最後の夏に二重写しにした。91年(平3)センバツ。山あいの県立校として初出場した甲子園で、2試合連続の逆転サヨナラ勝ちで4強入り。「ミラクル市川」と呼ばれた、あの時代だ。

奇跡への片りんは、見せた。村松は右下手投げから、最速120キロに満たない「遅速球」とカーブ、シンカーを武器に、強豪の東海大甲府打線を7回まで翻弄(ほんろう)した。91年チームで主将を務め、現外部コーチの今村彰宏氏(46)は感慨深げに言った。「校名がなくなるのは寂しい。でも、選手は粘り強く戦ってくれた」。ミラクルの伝統は「イチコー」から「青洲」へ引き継がれる。【玉置肇】