佐藤茂富氏が死去 砂川北、鵡川で計6度甲子園出場

砂川北(現砂川)、鵡川野球部の監督として春夏計6度甲子園に導いた佐藤茂富氏が、19日午後1時45分、腸管感染症のため、死去していたことが23日、分かった。79歳だった。約半世紀にわたり高校野球の指導に心血を注ぎ、4人のプロ野球選手を含む多くの選手を育てた。葬儀は既に近親者のみで執り行われており、11月2日に札幌市内でお別れの会を行う。

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北海道を代表する名物監督が、多くの財産を残し旅立った。佐藤氏は14年3月いっぱいで鵡川の総監督を退任後、滝川に1年、15年からは札幌市内で生活していた。大会開催時には時折、円山球場に足を運ぶなど元気な姿を見せていたが、7日に発熱し同市内の病院で治療を受け一時帰宅も、翌8日に再度発熱し入院。19日に息を引き取った。

佐藤氏は大学卒業後、栗山での監督を振り出しに、高校野球の指導一筋。砂川北では打撃重視のチームをつくり春1度、夏2度の甲子園出場を果たした。97年8月に鵡川監督に就任すると「元気、本気、一気」をモットーに、02年センバツに21世紀出場枠で甲子園初出場。「1つアウトを相手にあげるのが嫌」と、犠打を好まない大胆な攻撃的スタイルで初勝利に導いた。

独特な指導法は、教え子たちの間で語り継がれている。92年夏の甲子園に砂川北の投手として出場した北海道高野連の横山泰之専務理事(45)は「試合では細かい指示はなく“投手は速い球を投げろ。打者は遠くに飛ばせ”というのが印象的でした」と振り返った。

シンプルな言葉への裏付けはあった。「そのためには体を大きくしなきゃならないし、投手は走らないといけない」。トレーニング方法へのこだわりも個性的で、84年センバツ初出場時には宇宙飛行士が取り入れていたという、ひもを使った練習を導入し「アポロトレ」と呼び、筋力アップに役立てた。当時1年で、96年に砂川北の監督を引き継いだ現石狩南の高草木穣(ゆたか)監督(51)は「情報収集も上手。体も心も鍛えていただきました」と感謝した。

現在、日本ハム球団職員で砂川北OBの佐藤拓氏(40)は、鵡川赴任直後の恩師の姿を思い返す。選手には茶髪にピアスをした選手もいた。「鵡川に練習試合に出向くと、9人ぎりぎりで野球にならなかった。茂富先生はそれでも自分で石を拾って草むしりして。夢を持ってやっていた。まさか甲子園に行くとは思わなかった。あきらめない姿勢を見せてもらった」。人生をかけ、本気でぶつかっていく姿は、教え子たちが、受け継いでいく。

◆佐藤茂富(さとう・しげとみ)1940年(昭15)7月16日、三笠市生まれ。岩見沢朝日小、岩見沢栄中から岩見沢東に進み、在学中は投手として活躍。北海道学芸大札幌校(現北海道教大札幌)卒業後、栗山の監督として指導をスタート。71年から砂川北監督を務め、春1度、夏2度甲子園に出場した。97年に鵡川監督就任後は21世紀出場枠の02年など春3度甲子園出場。12年7月に総監督となり、14年3月に退任。家族は靖子夫人。

▽鵡川で副部長、部長を務めた函館工の山本裕也監督(39) 1球1球心を込めてノックを打つという教えを、今でも守って選手と向き合っています。同じ函館出身の奥様にもお世話になり、寮で一緒にご飯を食べさせてもらった。使命感を持って、これからも指導していきたいです。

▽駒大岩見沢時代に砂川北と切磋琢磨(せっさたくま)したクラーク・佐々木啓司監督(63) 砂川北とは初めて甲子園出場を決めた82年秋季大会前の練習試合で3勝4敗1分け。そこに勝てれば自信になると思った。高校野球の厳しさを教えていただきました。

▽98年から4年間、鵡川で部長を務めた小池啓之氏(68) 最後にお会いしたのは7月。力強い握手でとても元気だったので信じられない。鵡川ではお互い持っているものをぶつけてチームを一から作った自負がある。選手がまだ集まらない時期に全道を車で回りながら真剣に甲子園に出るためにはどうしたら良いか話し合ったのが懐かしいです。

▽滝川西監督時代に砂川北と競い合った高石克美氏(66=札幌大准教授) 茂富さんに追いつきたいという思いでやっていた。挑んで挑んで初めて勝たせてもらったり。若い自分をかわいがってくれた豪快な“豪将”でした。5、6年前かな。(滝川西の)小野寺(大樹現監督)と、先生と奥様と4人で食事をしたのが最後かな。もう少し生きて欲しかった。

▽12年7月に鵡川監督を引き継いだ札幌日大の折霜忠紀部長(62) 10年間は一緒で夫婦以上に長い時間を過ごした。鋭い洞察力で選手の小さな変化にもすぐ気付いていた。監督交代で言われたのは「好きなように思い切りやれ」でした。

▽鵡川で8年間、部長などで一緒に指導した滝川西・小野寺大樹監督(43) (訃報を聞いて)目の前が真っ暗になりました。気持ちの整理がつかなかった。愛情と人間味のある指導で、出会って自分の人生ががらっと変わりました。滝川西に赴任した時は、先生に安心してもらえるチームを作ろうと思いました。

▽98年から4年間、鵡川で部長を務めた小池啓之氏(67) 最後にお会いしたのは7月。力強い握手でとても元気だったので信じられない。鵡川ではお互い持っているものをぶつけてチームを1から作った自負がある。選手がまだ集まらない時期に全道を車で回りながら真剣に甲子園に出るためにはどうしたら良いか話し合ったのが懐かしいです。

<お別れの会日程>

▼日時 11月2日午後2時

▼場所 ベルコ大谷地シティホール(札幌市白石区本通21丁目南1の60)

▼代表者 高草木穣(ゆたか)さん

▼連絡先 ベルコ大谷地シティホール電話011・861・4444

その他の写真

  • 佐藤茂富氏(2013年6月20日撮影)