雪かきから甲子園!! 29日に出場校が決まる今春センバツの21世紀枠候補・矢上(島根)は元広島の山本翔監督(37)が率いる。学校は雪深い山間部の邑南(おおなん)町にあり、選手は雪かきも行うなど地元に根づく。9年間の現役時代にメモした無数の「赤ヘルノート」をアレンジして指導。昨秋の島根県大会では3試合連続サヨナラ勝ちで中国大会に進出。カープで育んだ人生観をもとに初の甲子園出場へ吉報を待つ。【取材・構成=酒井俊作】

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冬になると野球部員には日課がある。町に1メートル近く降り積もった雪を端に寄せては、通行できるようにする。1月中旬。銀世界のなか、黙々とバス停の周りを除雪する生徒たちの姿があった。山本監督は言う。

「毎日雪かきをやっています。4割近くが高齢者。地域の皆さんに応援されるチームでないといけない」

地域密着には一貫した思いがある。「技術以前に日頃が大事。学生野球は教育の一環です。彼らから野球をとったら何も残らないでは困ります」。まず人として、正しいことを求める。

山間部は雪が解けない。グラウンドを使えない日も多く、校内のビニールハウスで鍛錬を重ねる。狭くても密集せずにティー打撃を行い、まともなノックもできない。「球を転がして、基本姿勢をしっかり作る。今日も久しぶりに球を投げました」。監督5年目の今春は21世紀枠候補9校に残り、選抜4枠をうかがう。

山本監督は02年から広島でプレーした。1軍戦には出場できなかったが人生を学んだ。「9年間のすべてが財産」。出番に恵まれなくてもひたむきだった。「メモ魔なので」と笑う。自宅の段ボール数箱に、ノートが無数にある。当時、無心で書き連ねた気づきの数々だ。野球への情熱が詰まったメモは今、球児への指導の指針になっている。

「高さん、片岡さん、朝山さん、長内さん、走塁は永田さん…。いろいろ教わりました。ノートに整理してアレンジして選手に渡しています」

資料は実に細やかだ。打撃なら<1>構え<2>トップの位置<3>足の踏み出し<4>体重移動…。チェックポイントをまとめ、ナインに渡す。公立校で補講も多く練習時間を多く取れない。「なかなか全員練習にそろわない。理解力を高めること」。効率よく練習すべく、赤ヘルノートが一役買っている。

「明るいチームで、どんなときもあきらめない。3試合連続サヨナラ勝ちは私の野球人生で初めて。私が作った造語ですが『矢上スマイル』で戦おうと。明るい人は脳も未来も明るい」

ヒントはやはり広島時代だ。毎年、オフになると福岡・北九州の一軒家に足を運んでいた。担当スカウトの村上孝雄(旧姓宮川)の自宅で、1年の労をねぎらう会だ。そうそうたる顔ぶれだった。緒方孝市、前田智徳…。「僕、宮川さんがとった最後の選手で末っ子で。前田さんにいじっていただいて」。名球会打者の前田は修行僧のイメージだが素顔は明るい。広島3連覇監督の緒方もまた爽快だ。成功者の振る舞いを見ていた。「明るさって大事なんです」とうなずいた。

そして続ける。「プロで結果を出せなかったから、いまがあります」。昨秋は2年連続で中国大会に進出し、1回戦敗退。29日、初の甲子園切符は届くか。「ふさわしいチームなら選ばれます。やるべきことを、しっかりやるだけです」。青年監督は腰を据えて構えている。(敬称略)

◆山本翔(やまもと・しょう)1984年(昭59)1月13日、福岡県生まれ。東筑から捕手として01年ドラフト5巡目で広島入団。同期は大竹寛、石原慶幸ら。10年限りで現役引退。一般企業に勤務し、11年から広島安佐ボーイズ小学部で指導。13年から広島経大監督。15年から広島安佐ボーイズ中学部で指導。17年7月から矢上監督。邑南町教育委員会生涯学習課に勤務する。178センチ、98キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と2女。

◆矢上(やかみ)高校 島根県立で1948年(昭23)創立。男女共学で全校生徒246人。全日制課程普通科、産業技術科。野球部は1989年(平元)に創部され、春夏通じて甲子園出場なし。部員数47人。OBに元巨人酒井純也。校内に10頭以上の黒毛和牛を飼育する農場を持ち、産業技術科の野球部員も育てる。島根県邑智郡邑南町矢上3921。学校長は志波英樹。